『ぼくのお日さま』奥山大史監督の類まれなバランス感覚に宿る、“生まれたて”の表現【宇野維正の「映画のことは監督に訊け」】
『ぼくのお日さま』(公開中)は不思議な作品だ。構図や照明や色彩設計から役者の細かい所作まで一分の隙もなく必然だけで作り込まれた画面の中で、偶然の奇跡としか思えないような美しい瞬間が何度も立ち現れる。ロケーションや時代設定やキャラクター設定からフィギュアスケートというモチーフの描き方まで徹底してリアリズムが貫かれながらも、どこかファンタジー作品のような感触と余韻が残る。作品を観ている最中には古今東西の過去作がいくつも頭の中をよぎるのに、観終わってみるとこれまでどこにもなかったような作品であることに気づく。つまり、奥山大史監督は長編映画2作目、商業映画としてはデビュー作となる本作で、いきなり比類のない作家性を手中に収めてみせたわけだ。 監督・脚本・撮影・編集を手掛けた奥山大史監督 このような画面の隅々まで監督の意志が張り巡らされた(奥山大史は本作で監督だけでなく、脚本、編集、そして撮影まで1人で手がけている)作品を前にすると、インタビューの質問も自ずと焦点の定まった具体的なものとなってくる。「どうしてスタンダードサイズで撮るのか?」「どうしてフィルムの質感を求めながらもデジタル撮影なのか?」「どうして2作続けて少年を主人公にしたのか?」などなど。すべての質問に明晰な回答が返ってくるので、奥山大史という映画作家の特異性について、ある程度までは言語化されたテキストになっていると思う。もっとも、この作品の魔法のような輝きには、それだけでは容易に迫れるものではないのだが。 そんな奥山監督の明晰さは、作品の中身だけではなく、その届け方においても際立っている。長編映画1作目の『僕はイエス様が嫌い』がサンセバスチャン国際映画祭で最優秀新人監督賞を受賞した経験を糧に、「ゴールとしての映画祭」ではなく「スタート地点としての映画祭」が明確に目標設定された『ぼくのお日さま』は、実際、そのプラン通りに国内の観客にも国外の観客にも届こうとしている。コロナ禍以降ますますオリジナル作品の居場所がなくなりつつある日本の映画界において、どこに活路があるのかを指し示した作品としても、『ぼくのお日さま』は重要な一作と言えるだろう。本作を「ホップ、ステップ」の「ステップ」と位置付けているという奥山監督。この次にやってくる「ジャンプ」で一体どこまで遠く飛んでいくのか、いまから楽しみでならない。 ■「自分の知らない土地の人にまで、自分が納得しているクオリティのまま届けられる映画という表現フォーマットに惹かれるようになっていった」(奥山) ――この連載では毎回、新作の公開タイミングで監督にインタビューをさせていただいているわけですけど、それまでのフィルモグラフィーをたどって話をお伺いすることが多いんですね。でも、奥山監督はこれがまだ長編2作目なので、そもそも映画監督を志された理由からお伺いしていきたいのですが。 奥山「一番のきっかけとして認識してるのは、高校生の時に大人計画の『ふくすけ』っていう舞台を見たことで。それにすごい衝撃を受けて」 ――それで演劇に目覚めたという話ならばわかりやすいのですが(苦笑)。 奥山「そうですよね(笑)。だから、最初は映画を撮りたいというよりも、ものづくり、なかでもお芝居というものに関わってみたいって、初めて『ふくすけ』を見た時に思って。薬剤被害によって障がいを持った少年の役を阿部サダヲさんがやられてたんですけど、その演技の迫力に完全にやられてしまって。最近もキャストを変えて再演をやっていて、それもすばらしかったんですけど、やっぱりオリジナル――自分が見たのは2012年のオリジナルの再演だったんですけど――が本当にすごかったんですよ。それで自分も演劇を作ってみたいと思って、高校生のころに下北沢の本多劇場で劇団の手伝いとかをしてたんですけど」 ――まだ高校生なのに、積極的ですね。どうやって入り込んだんですか? 奥山「普通に劇団に連絡して、手伝わせてほしいって頼んで」 ――本多劇場でやってるってことは、もうプロの世界ですよね。 奥山「そうですね。アルバイトってかたちで手伝いに行っていて。大学に入ってからも演劇関係のことは続けてたんですけど、やっぱり演劇って生じゃないと意味がないと思って。だんだん、残していけるものだったり、遠くの人――その時はまだ海外の観客のことまでは考えてなかったんですけど――自分の知らない人、自分の知らない土地の人にまで、自分が納得しているクオリティのまま届けられる映画という表現フォーマットに惹かれるようになっていって」 ――きっかけは演劇だったんですね。 奥山「あと、これも高校時代なんですけど、ある時期、集中的にレンタルビデオショップでわっと映画を借りるようになって」 ――奥山監督の学生時代だと、海外の大手ストリーミングプラットフォームが入ってくる直前で、まだレンタルビデオショップという業態が ギリギリ元気だった時代ですね。 奥山「はい。それでゲオとかTSUTAYAとか、学校の帰り道にバーって借りていって。部活もやってなくて本当に暇だったんで、安く時間を潰せるってこともあって、旧作をいっぱい借りるようになって。借りてくうちに、いろんな映画に出会ったんですけど、そのときに出会ったのが橋口亮輔監督の作品で。その時で5作品ぐらいですかね。監督コーナーの中でも、作品数は少ないほうだったので、一気に観ようとまとめて借りたんです」 ――やっぱりレンタルビデオショップって、過去作があったりなかったりするストリーミングと違って、その監督のフィルモグラフィーがより視覚化されますよね。 奥山「そうなんですよ、並んでる本数で、その人が何本、どんなジャンルの映画を撮ってきたかがひと目でわかる。それで、数がそれほどないながらも、全部が傑作だった橋口亮輔監督の作品群にすごい惹かれて。こういう映画を撮ってみたいなっていうのはその時から思ってたんですけど、当時はまだ、演劇以上に映画の作り方、撮り方がわからなかった」 ――高校卒業後は青山学院大学と映画美学校に通われていたとのことですが、それはどういう時系列なんですか? 奥山「青学の総合文化政策学部っていうところで映画のプロデュース論とか広告論について学びながら、大学2年生、3年生の時に美学校にも通い始めて。だからその2年間はダブルスクールですね」 ――そのころから、実作に関心が向かっていった? 奥山「大学2年の時から、映画の撮影をし始めたんです。友達が監督する作品でカメラマンをやり始めて。カメラ機材がすごい好きだったので、最初はそれがきっかけで。フィルムカメラで写真を撮るのにハマっていった延長線上で映像を撮るようになった感じで、気づいたら自主映画を撮影するようになっていって。それが楽しかったので美学校に通うようになって、映画監督をやりたいと思うようになりました」 ――『僕はイエス様が嫌い』は学校の卒業制作とのことですが、それは映画美学校の? 奥山「いえ、青学の卒業制作です。3年生、4年生で映画のゼミにも同時に通っていて、それでゼミの卒業制作として。卒業論文って選択肢もあったんですけど、作品制作も選んでもよくて。『イエス様』では結構巨大なグリーンバックを使用したんですけど、そういう撮影ができる場所も学部の施設内にありました」 ――なるほど、あの規模の予算の作品で、VFX的なことができたっていうのはそれもあったんですね。 奥山「はい。それは大きかったですね。とはいえ、結局、編集をねちねちやっていたら卒業に間に合わなくなってしまって。必ず完成させることを条件に、脚本を卒論として提出して、なんとか単位をいただきました」 ――写真を撮るのにもハマっていた、とのことでしたが、そこがシームレスな感覚って、デジタルだからというのもあるんでしょうか? いまは一眼レフで動画を撮ったりするわけで、そこにあまり区分けがない感覚というか。 奥山「区分けなく考えていけたらいいなと思ってます。映画のカメラマン的な考え方で構図を切っていくというより、写真家だったり、それこそもっと広い意味での美術だったり、映画というよりも、そういうものの捉え方で構図を切っていって、それを積み重ねていけたらなって。自分が映画を作る時は、まずメインとなるシーンのショットを、なるべく具体的に明示するようにしていて。絵にも描きますし、絵にしても納得できなかった時はデザイナーさんを入れてカンプと呼ばれるイメージ画像を作るようにしてます。ロケハンで撮った素材や、出演する俳優さんの過去の写真も使って、その段階で自分のイメージに近いものを一枚画として1回作り上げていって。言わばすごく仮のポスターですね」 ――それは『僕はイエス様が嫌い』の時から? 奥山「はい。一応、みんなが見る資料につけることもあるし、本当に内々に、自分しか見ないような時もありますけど、必ず何かしらは作りますね」 ――「どのショットも絵葉書になる」みたいな使い古された言葉もありますけど、実際にそういう映画ってあるじゃないですか。特に今回の『ぼくのお日さま』はそういう映画でもあると言えるかもしれない。 奥山「はい。それは自分が目指したいと思ったことの一つです」 ――ただ、そういうことを念頭に置かなくても優れた映画作家というのもいるわけですよね。美しいショットの追求ばかりを目指したら、そこでスポイルされるなにかが映画にはある。そこはどう克服していったんでしょうか? 奥山「ジャック・タチとかロイ・アンダーソンのように、静的に、一つ一つ構図にこだわって撮っていく。その上で、今回は特にフィギュアスケートという題材なので、そこで緩急をつけたいなと思って。動く時はしっかり自由かつ大胆に動いて、カメラを振り回し撮りたいところを追っていく。それ以外のシーンは三脚を据えてしっかり表情や、そこから浮かび上がる感情をフィックスで記録していく。そういうことを意識しましたね」 ――『ぼくのお日さま』ではフィギュアスケートのレッスンが描かれるわけですけど、レッスンって要は反復じゃないですか。例えば、今名前が挙がったジャック・タチは”反復の快楽”にすごく意識的な監督でしたが、『ぼくのお日さま』ではレッスンというかたちでそれがストーリーラインの中で必然として描かれていて、そこに共通性を見出すことも可能かもしれませんね。 奥山「反復については『まさに』で、練習に関して言うと、ちょっとずつ上手くなっていくことによって2人の表情が変わったり、距離感が詰まっていたり、あとは練習を積み重ねたことで同じステップなんだけど、腕を組むようになったりとかして、ちょっとずつ進歩しながら変わっていく。反復には、同じことが繰り返されることで、逆にそこで“なにが変わったか”が明確になっていくという効果もあって、そこは意識的に取り入れてます。それとちょっと似た話としては、この作品は雪が降る季節がメインですけど、その前の秋だったり、雪が溶けたあとの春のシーンも多少あるじゃないですか。そこでは、なるべく雪が積もってる時と同じ構図で、同じ景色を切り取るようにして、その差異を映しだせればというのも意識しました」 ■「大人のセリフをちゃんとリアリティのあるものにするというのは、『イエス様』でやりたかったけどやりきれなかったこと」(奥山) ――なるほど。それと、これも一つの反復と言えるのかもしれませんが、『ぼくのお日さま』には前作『僕はイエス様が嫌い』との共通点がいくつもあります。一つは「子どもが主人公であるということ」。もう一つは、今回のタイトルはハンバートハンバートの曲名から取っていて、「僕」と「ぼく」で漢字とひらがなの違いはありますが、「一人称の”僕”がタイトルになっている」。そして、どちらも画面がスタンダードサイズで、デジタルで撮られている。まだ長編は2作しか撮られていないのでそれを作家性とするのは早急かもしれませんが、ご自身の作品のシグネチャーみたいなものついて、どの程度意識的なのか、あるいは無意識的なのかっていう話を伺いたいんですけど。 奥山「いま挙げていただいたことに関しては、それぞれ葛藤があって。たまたまハンバートハンバートの曲に出会えたわけですが、本当に曲のタイトルのままでいいのかとか、フィルムで撮ってみたい気持ちもあったりとか、今回もスタンダードサイズで撮ると『これが自分の映画です』みたいな作り手の気配が出すぎて邪魔になるんじゃないかとか。全部、いろいろ悩んだ結果なんですね。できれば一作目から遠くにジャンプしたいけど、ホップ、ステップ、ジャンプじゃないですけど、まずはいま自分ができる得意なもののなかでその高みを目指したいという気持ちもあったりして。結果的に、今回は『イエス様』でやりたかったけどやれなかったことを、まずはやりきろうと。だから、自分の得意なところ、好きなところを最大限そのまま取り入れて作ってみようと思いました。意識的に選んだところでいうと、スタンダードサイズに関しては、それでこそ切り取れる画角ってのは自分の中にはあるので」 ――先ほどの話も踏まえると、スタンダードが、現在の奥山監督が最もイメージしやすいサイズということですね。 奥山「そうです。好きなんですよね、あの画角が。だから『イエス様』と一緒になるけれど、あえて別のことはやらずに極めてみようと。一方で、『イエス様』との一番大きな違いでいうと、『イエス様』は設定だけじゃなくてストーリーラインもかなり実体験なので。今回、『お日さま』においてフィギュアスケートは、自分の実体験ではあるんですけど、そこで実際にあの2人が経験することっていうのは、僕自身一つも経験したことがないこと。そういう意味で、”映画のために創作する”というのは今回初めてやってみたことです。それと、”大人の視点をちゃんと入れる”ということ。大人のセリフをちゃんとリアリティのあるものにするというのは、『イエス様』でやりたかったけどやりきれなかったことなので、自分にとっては挑戦だったかなと」 ――それは、大人だけのシーンがあるかないかっていうことでもありますよね? 奥山「その通りです。若葉(竜也)さんと池松(壮亮)さんのシーンは、自分にとって挑戦であり、子どもから見た大人だけでなく、大人から見た大人を描いてみる、という課題に取り組んだものです」 ――「前作でやりたかったけどやれなかったことをやりきろう」というのを聞いて、今回も主人公が子どもの理由がよくわかりました。ある意味、子どもが主人公の映画ってちょっとズルいというか(笑)、ここぞという時の必殺技というか、(フランソワ・トリュフォー監督の)『大人は判ってくれない』にせよ(ヴィットリオ・デ・シーカ監督の)『自転車泥棒』にせよ、子どもが主人公だったり重要な役で出てくる名作はたくさんありますけど、それを2作しか撮ってない監督が2作続けて撮るというのは、なかなか勇気がいることだと思ったので。 奥山「えっ、そうですか?」 ――そこに、なんらかのオブセッションがあるんじゃないかと思われるリスクはあると思います。 奥山「でも、子どもの時に想像していたことを映像にしたいみたいなことは、ずっと思っていて。そうやって子ども時代を追体験してみたいというのは、自分が映画を撮ろうと思った動機の一つなのかもしれません。いま話に上がった『自転車泥棒』も大好きですし、(アッバス・キアロスタミ監督の)『友だちのうちはどこ?』とかもそうですが、ああいう映画を見てると、子どもの時、ちょっとしたことですごく落ち込んだり、ちょっとしたことですごくうれしくなったり、そういう感情の起伏みたいなものが呼び起こされる感覚があって。自分もそういう映画を作りたいっていうのは、素直な気持ちとしてあります。でも、次に映画を作る時も少年を主人公にするかっていうと、多分そんなことはないだろうし、そこにこだわっているわけではないんですけど」 ■「“生まれたての表現に出くわした”みたいな感覚にさせてくれる」(宇野) ――奥山監督のそういう素直さというか、自意識の希薄さというのは、例えば今作におけるドビュッシーの「月の光」の使い方にも感じました。というのも、日本映画で、少年少女が主人公で、一見自然に見えるけど作り込んだ作品世界っていうと、岩井俊二監督の諸作品を思い出したりもするんですけど。それを指摘されるのを恐れていないし、ちゃんと“生まれたての表現に出くわした”みたいな感覚にさせてくれる。 奥山「ああ…」 ――それをやったら2番煎じとか言われちゃうのかなって、他の才能ある監督だったら避けそうなところにも、シュッと踏み込んでいけるというか。 奥山「そうですね…うん。でも、思いますよ、これだと結局“あれっぽい”にしかならないんじゃないかなってことも。例えば今回で言うと、おっしゃるように『月の光』を使うことによって『リリイ・シュシュのすべて』の影響について指摘されるんじゃないかとか、あるいは作品全体を通しての『リトル・ダンサー』からの影響だったりとか。でも、やっぱりそういうのも組み合わせ次第だなと思っていて。どんなに奇抜に見えるアイデアも、既存の要素の新しい組み合わせでしかないわけで、その組み合わ方をどうしていくかで、ただのオマージュや真似にはならないんじゃないかなって」 ――そう。不思議なことに、全然オマージュ感はないんですよ。もちろん真似とも思わないし。 奥山「『月の光』に関しては、『青いパパイヤの香り』とか、『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』とか、他の作品でも頻繁に使われているので、むしろそっちのほうが気になって。それでもあえて『月の光』なのかっていうのはちょっと迷ったんですけど。ただ、曲としてすごく映画的っていうか、あの儚さが映像にのせるとやっぱりとてもいいんですよね。あの感情的に振られすぎない感じがよくて、繰り返し流れても嫌じゃない。その”王道感”も含めて、さくら(中西希亜良)がアイスリンクを滑る時の音楽としてどうしても使いたいなって」 ――映画は娯楽映画とアートハウス映画で全部が違うじゃないですか。製作予算から、宣伝の仕方から、作品の広がり方まで。日本映画の場合、むしろ世界に近いのはアートハウス映画のほうだったりもするわけですけど。そういう躊躇なくベタを踏み抜くような考え方って、娯楽映画においてはありがちで、大切なことでもあると思うんですけど、現時点で、奥山監督が属しているのはどちらかと言えばアートハウス映画の世界のほうだと思うんですね。 奥山「そうかもですね」 ――前作『イエス様』ではあの規模感の作品でVFXを使ってみたり、今作ではそういう王道的な音楽の使い方をしてみたりと、奥山監督の作品にはそういう意外性がありますよね。 奥山「確かに。今回、カンヌ国際映画祭の『ある視点』部門で上映された時にも、現地のインタビュアーに同じようなことを言われました。『ぼくのお日さま』が上映されたのは、全体の日程で中盤を過ぎたあたりだったんですけど。それまでずっと『ある視点』の作品を観てきて、チャレンジングなテーマだったり、見たことないような映像表現だったりっていうのが続くなかで、突然真っ直ぐすぎる作品に出会ってすごく意表を突かれたって」 ――わかります(笑)。 奥山「それも全然ねらってたところではないんですけど、ストーリーラインは王道でありながら、細かいところの描き方だったり、カット割りだったり、キャスティングの妙みたいなところで、それまで撮られてきた映画とは違う、ちょっと不思議な組み合わせができたらいいなと」 ――先ほど言っていた“組み合わせの妙”ですよね。それは、過去の映画との対比においてもそうですけど、現代の他の映画との対比においてもそう思います。荒川(池松壮亮)のジェンダーアイデンティティの描き方もそうだし。 奥山「そこはとても迷いました。LGBTQ+に限らず、タクヤ(越山敬達)の吃音の描き方についても、どこまでどういうふうに描けばいいのかって。そういう設定を、物語を前に進めるための道具にしているように思われたくないので。今回、共同制作にフランスの会社が入っていて、スクリプトドクターとしてフランス人の方にも意見をもらったんですけど、そこでもいろいろ話し合いながら、取り入れられるものはなるべくすべて取り入れて、その上でやっぱり今回の作品においてこれは違うなと思うものは捨ててと、一つ一つ本当に悩みながら取捨選択をしていきました」 ――その痕跡は作品から伝わってきました。「わかってない」みたいなことを言いがちな観客もいますけど、多くの場合、すべてわかった上で、いろいろ試行錯誤をしながらその作品に最も相応しい選択をしているわけで。そうじゃないと、特定のテーマにおいてはすべての作品が似てきてしまう。 奥山「本当にいろんなことがセンシティブというか。自分が気づかなかったことでいうと、例えばタクヤがお風呂に入る前に服を脱ぎますけど、あれも編集の段階になって、フランスのセールスエージェントから『これ、上半身を全部脱がないテイクはないのか?』みたいな意見もあったりして」 ――1人だけのシーンであっても、ということですよね。 奥山「そうです。そこに関しては上半身着たままのテイクが無かったこともあり、自分の判断でそのままにして、映画祭で上映されてからも、誰からも指摘は受けてないですけど。ただ、制作段階でそういうことを言われるということは、過去に類似する指摘から問題となった映画があったのは事実だと思うんですよ。子どもの身体をどこまで見せるかっていう。そういう価値観は時代とともに変わってくるのは当然なので、そういったものは常に――たとえ作品の時代設定が少し昔だとしても――現代で映画作りを続けていく以上、繊細に、敏感にキャッチした上で、意識的にひとつひとつ選択していかなきゃなとは思ってます」 ■「観る人によって遠い昔に見えても、なんならちょっと未来に見えてもいい。知らない国のおとぎ話に見えるぐらいがちょうどいい」(奥山) ――『ぼくのお日さま』の時代設定って、いつごろなんでしょうか? 奥山「あまり作品の中で明示はしたくなくて、現代だと思って見てもらってもいいように意識したんですが、誰もスマホを持ってなかったり、あとは車種とかを見れば、わかる人にはわかるかなくらいで」 ――地方だったらあり得るかなくらいな感じで見てしまったんですけど(苦笑)、10年ぐらい前ですか?もっと前? 奥山「一応設定していたのは2001年ぐらいです。着ている服も、持っている小道具も、その時代に合わせて選んでもらって。でも、いかにも“昔です”という感じにはしたくなかった」 ――作る上では厳密に時代設定をしながらも、観客に与える印象は曖昧にしている。ものすごい絶妙なラインを狙ってるんですね。衣装とかはどうやって集めたんですか? 奥山「纐纈(春樹)さんという『ドライブ・マイ・カー』とか黒沢(清)監督の映画とかを担当しているスタイリストさんにお願いして。フィギュアスケートを習ってる子たちが、20年くらい前にどんな服で練習していたかとか、なかなかわからないじゃないですか。だから、僕がスケートしてた当時の映像とか写真とかを、その頃に姉が着ていた服とかを一回全部預けて、それを纐纈さんに吸収してもらって、そこから服を集めたり作ったりしてもらったんですけど」 ――ものすごい精度の仕事をされていて、そういうところも、いわゆるアートハウス映画っぽくない作り方をされてますね。予算や制作環境からくる言い訳のようなものが、どこにもないというか。 奥山「はい、それはもう各部署のスタッフが全力を応えて下さったおかげです」 ――その上で、それでも時代設定を作中で明示したくなかった理由は? 奥山「ちょっと極端ですけど、観る人によって遠い昔に見えても、なんならちょっと未来に見えてもいいぐらいっていう。そういう、知らない国のおとぎ話に見えるぐらいがちょうどいいですっていう話を最初にスタッフにしていて。地域についても、北海道ということはわかると思うんですけど、方言を使ったり、どの町かを明示しないようにしているのは、観客に余白を与えるためで。時代や地域を限定して説明を重ねてしまうことで、観客にとってどこか他人事になっちゃう気がするんですよね。だから、なるべく限定したくない、できるだけ普遍的にしたいというのはあります」 ――自分が見せたいものと、観客にどう観てほしいかということ、そのバランスを見つけるのって特に経験の少ない若い映画作家にとっては難しいことで、“自分が見せたいもの”に偏っていきがちだと思うんですけど、奥山監督はそのバランス感覚に非常に長けていると思うんですね。それは、どうやって獲得していったものなんでしょう? 奥山「『イエス様』が海外で上映された時に思ったのは、たまたま主人公がほとんど喋らない設定だったこともあって、言葉を使わずとも伝わるものがあるんだなっていう、ある意味、映画にとって当然のことに気づかせてもらって。最初にサン・セバスティアン映画祭に行って、それ以降もいろんな映画祭に行かせてもらう中で、映画ってそれ自体が一種の共通言語なのかもしれないって思えたんですよ。その経験があったから、今作も海外に届けたいと思ったし、言葉ではないもので届けたいっていう思いも強くあって」 ――いま観客って言ったときに、自分はなんとなく日本の観客をイメージして質問をしたんですけど、映画祭で出会うことになる観客というのも念頭に置かれているんですね。 奥山「『イエス様』の反省点で一番大きかったのって、最初にサン・セバスティアン映画祭に行った時点で、セールス会社も、日本の配給会社も、日本の宣伝会社もなにも決まってなかったことなんですよ。そこでたまたま受賞できたことで、そこから一気に、日本のワイドショーとかから連絡が来たり、あとは海外の配給会社から、映画祭のパンフレットにとりあえず入れてあった自分の個人アドレスにすごい連絡がきて、完全にパンクしてしまったんです(笑)。その時に、映画祭って、みんなで作品を作って、ゴールテープをきる場所みたいな感覚で行きがちですけど、まったく違うんだなってことがわかって。映画祭はゴールではなくて、作品が商品へと生まれ変わるためのスタートを切る場所なんだな、と。そして、そのスタートを切るのは1人ではできなくて、日本の配給宣伝と海外の配給会社の窓口になるセールス会社が決まってる上で、みんなでその作品をどう届けて、映画祭での反応に合わせてどう臨機応変に対応していくかってことが大事なんだなってことがわかって」 ――まあ、学校の卒業制作の作品でそこまでいっちゃうっていうのがすごいことですけど(笑)。 奥山「でも、あの時の反省や学びがとても多かったので、今回はその反省を活かして、プロデューサーと計画を立てることができました」 ――なるほど。「前作でやりたかったけどやれなかったことをやりきろう」というのは、作品の内側だけではなくて、そういう外側のことも含めてだったんですね。 奥山「はい。だからこそ、やりきれなかったところをやりきらせてもらったという感覚はあります」 ――それで、それもまたこうしてうまくいっちゃうんだからすごい(笑)。 奥山「でも、ここまでがホップ、ステップだとしたら、次はジャンプしなきゃなって感覚はとてもありまね」 ――頼もしいですね。映画監督としてキャリアを考える上で、ロールモデルにしている監督は誰かいたりするんですか? 奥山「特にロールモデルはいないですけど、尊敬してる人としては…うーん。最初に浮かぶのはやっぱり是枝(裕和)さんですかね。今お話した映画祭の捉え方にしても、是枝さんの考え方を踏襲しているだけの段階ですし。 あと、ロールモデルの話となると思い浮かぶのは、大学生の時に(グザヴィエ・)ドランの作品が特集されたオールナイト上映に行って、そこで『マイ・マザー』を観た時に『これ、19歳で撮ってカンヌに行ってるんだ』って衝撃を受けて。『わたしはロランス』が大好きだったんですけど、あれも23歳で撮ってて、その時点で3回目のカンヌっていう」 ――ドランは早かったですよね。 奥山「『こんな人がいるんだ!』ってその時すごく思ったんで、ロールモデルではないですけど、印象には残ってますね。あまりに早すぎる、マラソンを短距離の感覚でスタートしちゃったような、すごいスピードだったんで」 ――日本で言ったら、奥山監督も相当速い早いですけどね(笑)。ドランはアデルのミュージックビデオを撮ったりしてることも含めて、確かにちょっと奥山監督に重なるところはありますね。ただ、2022年にテレビシリーズを撮った後、監督としての引退宣言をしたり(のちに撤回)と、生き急いでる感じはありますね。その時点でまだ30代前半という。 奥山「うんうん」 ――奥山監督もNetflixの「舞妓さんちのまかないさん」やNHKの「ユーミンストーリーズ」でエピソード監督を務めたり、完全なインディペンデントで短編を作ったりと、長編映画以外でのフィクション作品の制作についてもいろいろ模索しているようにも見受けられますが、やっぱり監督としての軸としては長編映画があるという感じですか? 奥山「それでいうと、あんまりこだわっていかないほうなのかなとは思います。もちろん、映画館で映画を観るのは大好きですけど、自分は広告会社に所属しているのでCMに携わるときもありますし、ミュージックビデオを撮ったりもしますし、ドラマの依頼も来たら、その仕事をすることですごく貴重な体験をさせてもらってるので。いろいろなことをやりながら、また映画に戻ってこれたら戻ってきたいっていう感じで」 ――へえ、意外にフラットなんですね。…でも、確かに若い監督は最近わりとそうかもしれませんね。なんか、映画はちゃんと駒が揃った時に満を持してやるもの、みたいな。 奥山「もちろん生活のこともありますけど、それだけじゃなくて、作品と作品の間にアイデアを蓄えるとかいっても、実際にその毎日をどうやって暮らせばいいんだろうって感覚があって(笑)自分の場合は、何かを作り続けることでしか、映画で撮るべきことは見えてきません」 ――そうですよね。最後に2つ気になってることを質問させてください。一つは、今後フィルムで映画を撮ることを考えているかということ。今回の『ぼくのお日さま』では非常にフィルム的な質感を表現できていて、逆に言うとデジタルであそこまでできちゃったら、別にそれでもいいじゃないかみたいな気もしたんですね。一方で、自分とかはフィルム撮影というだけで、観る前の心構えとして「おっ!」ってアガるタイプだったりして(笑)。実際、この時代にフィルムで撮影された映画には、やっぱりその良さがちゃんと作品に反映されているケースも多い。 奥山「そのフィルムにある良さっていうのをどうやってデジタルで出せるかなというのは、すごく考えていることで。『ぼくのお日さま』は、まずはそこを極めてみようかなと思った作品だったんです。例えば、デジタルですけど、実際にフィルムで空回しすることで生まれるテクスチャーを重ねてみたり、あとフィルム独特のフォーカスのボケ感っていうのを取り入れてたりしていて」 ――なるほど。 奥山「ただ、実際にフィルムで撮ることを考え始めると、自分はすごくテイクを重ねるタイプなので、現実的にはなかなか選択しづらい。長回しもすごくするんですよ。今回、湖のシーンでは本当に1時間回し続けちゃうみたいなこともしたので。そういう意味では、好みとしてはフィルムはすごく好みなんですけど、自分の制作スタイルとの相性は意外によくないのかもなって。CMやMVでフィルム撮影をしたことはあるので、いつか映画でもチャレンジはしてみたいですが」 ■「映画というのは、観客だって傷つくことがあり得るアートフォームだということですよね」(宇野) ――最後にもう一つ訊きたいのは、物語の中盤以降での荒川とその周りの人たちの描き方についてです。きっと、作品が公開されたらいろんな意見が寄せられる可能性があることはわかった上で、奥山監督があの描き方や物語の結末を選択したのには、いろいろ理由や葛藤があったんじゃないかと思うのですが。 奥山「葛藤はすごくありました。脚本段階でも、撮影段階でも、編集段階でも、すべての段階でありました。そこでやっぱり議論として挙がったのは、もう少し荒川に希望を持たせる終わり方のほうがいいんじゃないかとか、さくらがどこかで反省の念を述べたりとか、それが無くとも反省や後悔を表すようなシーンがあったほうがいいんじゃないかとか」 ――はい、そういう議論を踏まえてのあの描き方だというのは、想像できました。 奥山「あと、さくらに言われたことに対して、もう少し荒川がなにかを言い返してもいいんじゃないかとか。そういった意見は全部わかるんですけど、自分が今回の作品でやりたいこととは違っていたんです。こう、みんながそれぞれが傷ついて――その傷つき方は立場によって違うわけですけど、それでも本人なりにみんなそれぞれしっかり傷ついて――その傷ついた先に別れがあって、でもその別れの先に、きっと学びがあったり、新しい出会いがあるっていうことを感じさせる終わり方にしたかったんです。荒川に関しても、キャッチボールのシーンで、ただの悲観的な終わりじゃないように見せたいなとか。最後、荒川が遠くを見つめる先に、さくらが踊っているようにして、そこからお客さんに希望を感じてもらいたいなとか。そういうことを思いながら作っていったわけですけど、そうですね…わかりにくいところだったり、伝わりづらいところというのは、きっとそれぞれあるとは思うんですけど、観る人なりに、登場人物たちの次の出会いや将来的な気づきを感じとってもらえたらうれしいですね」 ――本当にその通りだと思うし、映画というのは、観客だって傷つくことがあり得るアートフォームだということですよね。 奥山「この前、ちょうど橋口(亮輔)監督とお話した時にも、そういう話になって。やっぱり痛みを描くからこそ、傷ついたことがある人を癒せることもあるんだっていうのを、木下恵介監督の『二十四の瞳』とかを例に挙げながらおっしゃっていて。あの時はこんなに幸せだったよねってことだけじゃなくて、こんな不幸なこともあったということを作品が描いてくれることで、作品に寄り添ってもらえる気持ちになるっていう考えは、すごくわかるなって思いましたね。もし観客が傷つく可能性があるとしたら、作品の前になんらかの警告を入れるべきだ、みたいな意見も最近は挙がるようになってきてますけど」 ――自分はそういう議論には異を唱えていきたいと思ってます。 奥山「ただ、そういう意見もある、そういう流れもあるっていうことに対しては、今後もちゃんと意識した上で、作品を作っていきたいと思ってます」 取材・文/宇野維正
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