平和奏でる被爆バイオリン、祖母が習った教師所有…被爆3世ピアニストが広島で共演へ
被爆3世のピアニスト三原有紀さん(33)が29日、79年前に広島で原爆に遭ったバイオリンとともにコンサートを行う。三原さんの祖母は、その「被爆バイオリン」を所有していたロシア人音楽教師の教え子だ。平和への願いを込め、ハーモニーを奏でる。(広島総局 山下佳穂) 祖母の 霜子しもこ さん(94)は、広島女学院1年だった1942年から約1年間、音楽教師のセルゲイ・パルチコフさんからバイオリンの個人レッスンを受けた。ロシア革命(1917年)から逃れて日本に亡命したパルチコフさんは、同校関係者の誘いで43年までバイオリンなどを指導していた。
練習はほぼ毎日。おっくうになった霜子さんが寄宿舎にいると「レッスンさぼる、だめね」と部屋まで呼びに来た。霜子さんは「先生の納得がいくまで練習した。厳しかったけれど、うまくできるとすごくほめてくれた」と懐かしむ。 45年8月6日午前8時15分。霜子さんは爆心地から約2キロの寺院にいた。学徒動員で集まった同級生らと朝のあいさつを交わした直後に原爆がさく裂し、建物の下敷きになった。すぐに救助されたが、カメラのフラッシュを浴びたようなまぶしさで目を覆った両腕にやけどを負った。
パルチコフさんは爆心地から約2・5キロの自宅で被爆。戦後、バイオリンとともにアメリカに渡った。パルチコフさんは69年に亡くなったが、長女が86年にバイオリンを同校に寄贈。同校は壊れていたバイオリンを修復し、依頼があれば、貸し出している。 三原さんが、そのバイオリンのことを知ったのは2018年。広島市の平和記念公園内の被爆建物「レストハウス」で初めて音色を聞き、いつか広島で一緒にコンサートをしたいとの思いが湧き上がった。 自身は大阪や関東で育ったが、幼い頃から広島に帰省すると霜子さんから被爆体験を聞いていた。一緒に広島平和記念資料館に行った時の「(実際の被害は)こんなもんじゃない」との言葉が胸に残る。