町田啓太、“平安F4”のシーンは「同窓会のような感じ」
公任は、少年期には道長をライバル視していたが、道長が出世し左大臣となってからは常に彼の味方となり支える立場に徹した。道長が強引なかたちで孫の敦成親王を東宮とした時も賛同していたが、第44回では「はたから見れば欲張りすぎだ」と道長に左大臣を辞するように促した。この時の公任の心境について、町田は解釈をこう語る。 「あくまで僕の勝手な解釈なんですけど、公任は道長が頑張りすぎだと思っているのではないかと。何でもかんでも首を突っ込んで、しかもちょっといい顔をしながら、いろんな人の意見を全部聞いていたら回るものも回らなくなってくるだろうと。娘たちを入内させ、息子たちも跡継ぎとして育っているわけですから任せられるところは任せるべきだと。辞めるべきというのは、心配する気持ちが大きいのだと思いますし、あくまで敬意を持っての話だと思うんですね。あとは、なかなか道長に意見できる人がいないというのもあるのではないでしょうか。公任は旧友ですし、昔から割と言いたい放題な性格でもあったから、斉信、行成、(源)俊賢らとも話して、代表するかたちで公任が言ったんだろうと。なので、公任と道長の関係自体は変わっていないと思います」
ところで、公任は斉信、行成、源俊賢(本田大輔)と共に一条天皇(塩野瑛久)を支えた四納言として知られているが、公任は4人の中でどんなポジションだったのか?
「非常に難しかったですね。途中から俊賢さんという、とても能動的で情熱的な人が入ってきたこともあって。行成は帝と道長の板挟みで苦労もしていましたけれども本当に良く動いていましたし、斉信は一番いいとこ取りを狙っているような人だから、実務はどうだったのかと言われると、ちょっとクエスチョンなところがあるんですけれど、陰ではたくさん働いていたんだろうなと(笑)。公任は芸事の世界でも活躍していたことでも知られていますが、当時は公任と実資の仕事量が半端なかったようなので、俯瞰して物事を見て道長を支えられた人だったのかなと思います」