作家・柚木麻子がガチでラーメンを作ると、頑固店主に変貌してしまった? その結果、辿り着いた新たな視点とは?【インタビュー】
柚木麻子さんの最新作『あいにくあんたのためじゃない』は、他人から一方的にレッテルを貼られ、理不尽な思いをさせられる現実に反逆し、「自分」をとりもどす人たちを描いた短篇集。「女人禁制」の食べ物・ラーメンを描くため、スープや麺まで手作りし、こだわりの頑固店主に変貌してしまった柚木さんが得た新たな視点とは? コロナ禍を通じて得た体感とは。小説と同じくらいパワフルな、柚木さんの創作の源についてうかがいました!
――本書の初めに収録されている「めんや 批評家おことわり」は、SNSで炎上して仕事が激減したラーメン評論家・佐橋が、謝罪し、かつて出禁となった人気ラーメン店を再訪するというお話です。 柚木麻子(以下、柚木):雑誌『エトセトラ』の「NO MORE 女人禁制!」特集に寄せて書いた小説です。女人禁制の歴史をひもときながら、女性を排斥する文化の背景を探るというまじめな特集だったんですが、なぜか私は「食べ物ネタで」と指定された。どうしようかなと考えていたときに、ふと、ラーメンって男性のものであるというイメージが強いなと思ったんですよね。当時、ラーメン評論家の言動やラーメン屋さんにまつわるあれこれがSNSで炎上することが多くて、そこにはやはり、マッチョな世界観が影響しているのではないかとも思った。老いも若きも、男も女も、みんな好きな食べ物であるはずなのになぜだろう……と、まずは自分でラーメンをつくってみることにしたんです。 ――それはもちろん、インスタントなどではなく。 柚木:ラーメンの専門書を集め、寸胴鍋を買ってきて、見よう見まねでスープをつくってみるところから始めました。麺は買ってきたものだったけど、煮卵くらいはつくったかな。そうしたら、子どもにも友達にもめちゃくちゃ好評だったんですよね。もともと料理は好きでふるまうことも多かったんですが、こんなに喜ばれたのは初めて。みんな、ラーメンは好きだけど、子ども連れだとお店に行くのは躊躇する。家のなかで、こぼしたり汚したりするのを気にせず、ゆっくりラーメンを食べられるのが嬉しかったみたいなんですよ。それで私、すごくやる気が出ちゃって、麺を打ち、スープを改良し、メンマ以外はすべて手作りできるようになって。 ――すごい。 柚木:おもしろいもので、ラーメンって語りたくなる何かがあるみたいなんですよ。評判が評判を呼び、テレビ局のディレクターとか、アイドル好きを通じて出会った芸能のお仕事をされている方とか、いろんな人が私のラーメンを食べてくれるようになって。「このスープはあの店に似ている」「今はこういう味が流行」なんて情報もどんどん集まってきた。そうなるとますます私のラーメンもアップデートされていき、4カ月がたったころに何が起きたかというと、私自身がものすごく頑固で威圧的なラーメン屋の店主みたいになっちゃったんです。 ――ポスターで、いかつい顔して腕を組んでいるような。 柚木:そうそう。スープを残そうもんなら「なんで残した?」って見ちゃうし、「おう、うまいか?」って食べている人を眺めながら圧をかける。ラーメンは、魔物ですよ。こうなると、つくりはじめる前に想定していた「男性の中にあるミソジニーが女性を排斥し、ただの食べ物でしかないラーメンを男性のものにしてしまった」みたいな結論で小説は書けないですよね。だって、私自身がいつのまにか、憎んでいたはずのものと同一化してしまっていたんですから。 ――なぜ、そんなふうになっちゃったんでしょう。 柚木:人の上に立ちたいという気持ちは、男女関係なく誰もが持ち合わせているんでしょうね。チャンスがないから蓋をしているだけのことで、スイッチが入れば人に褒められたい、語りたいという欲が発動して、王様になろうとしてしまう。それは私も例外ではないのだと身をもって知ったあとでは、小説に対する向き合い方が変わりました。これまでの私は、女性同士の連帯や食べ物など、自分が好きなものを深掘りして、取材を重ねて小説に落とし込んできた。そのぶん、興味のない対象は、『若草物語』のお父さんみたいに最初から存在しないもののように扱ってきた。でももし、口うるさくてマッチョなラーメン評論家やおこりんぼうな店主といった、自分が苦手で嫌いな存在に対する解像度も上げることができれば、もっと小説の幅が広がるのではないかと。 ――それで、今作では佐橋の視点で、小説を書いたのでしょうか。彼にひどい目に遭わされた人たちではなく。 柚木:そういうことです。ラーメン作りで参考にしたものに、伊丹十三の『タンポポ』という映画があるのですが、この作品に限らず、伊丹十三が描く「敵」は、解像度が非常に高いんですよね。『マルサの女』にしても、税金をとりたてる側の心情・事情だけでなく、税金を隠す悪人たちの右往左往がものすごくみっともなく、リアリティをもって描かれるから、おもしろいんです。 ――たしかに。佐橋の視点で、自分は悪くないという理由が切々と描かれるから、ちょっと感情移入もしちゃいました。だからこそ、後半で彼の視点がひっくりかえされる展開が、胸に響きます。 柚木:決して「この人にも理由があるから許そうね」ということではないんです。ただ、主張を通すためにはまず敵を知らなくてはならないのだと、先日お亡くなりになったユニセフの前会長である赤松良子先生もおっしゃっていました。小説『らんたん』を読んで、私に会ってみたいとコンタクトをとってくださったのが縁で、お付き合いさせていただいていたんですが、赤松先生が男女雇用機会均等法を成立させるために何をしたか、というお話がまあ、おもしろくて。たとえば、保守派の議員は、一度でも食事に行った相手のことは悪く言わない、「あいつはああ見えてわかってる奴だよ」なんてほだされるという特性を突いて、敵であるはずの議員との会食を重ねて、根回しをしたというんです。 私もそうですが、エンタメにおいては、ついつい記号的な悪として敵が描かれてしまいがち。これまで自分もしていた、嫌いな価値観を遠ざけ、ただ否定・拒絶するだけで終わるのでは、ダメだって気づいたんです。自分にもそういう部分があるとか、こうすれば変われるという視点がないと。でも、敵を研究し知りぬくことが赤松先生の強みであったように私も敵の解像度を上げることができれば、これは小説家として強力な武器になると改めて思いました。 ――その視点を持って、「めんや 批評家おことわり」を書いてみて、何がこれまでと違いましたか。 柚木:最初はもっと、佐橋をけちょんけちょんにやっつけてやるつもりだったんですよね。でも、佐橋みたいに、男社会で評価されないタイプの人間が、ラーメンを語りはじめた瞬間、みんなが耳を傾けてくれて、評価してくれるどころか、ときには感謝してくれるというのは、ものすごく快感だっただろうなあ、と思います。同時に、自分の居場所であるラーメン文化にそぐわない人たちは、邪魔に見えてきてしまったのだろうな、と。子連れの母親や若い女性が業界に参入し、ラーメンが開かれた存在になっていくことで、自分の取り分が減ってしまう危機感を覚えた。根っからの嫌な奴だったわけではなく、その焦りと不安が他者を攻撃し、排斥する行動に繋がったのだろうと思ったら……同情するわけではないけど、納得がいきました。攻撃されることに対する恐怖も、和らぎますよね。 ――その焦りと不安を、これまで以上に解像度高く描かれたからか、ラストは佐橋自身をも解放するようなラストになっていますよね。本書で、「めんや」以降に書かれたのはラストに収録された「スター誕生」だけですが、こちらも似た印象を受けました。 柚木:例えば失言を繰り返す政治家、被害者ムーブで知らず知らずに差別する人たちは、その裏で私たちの抱える何百倍もの不安を抱えている、変わりゆく流れについていけなくて苛立っているのだ、と思うと、ちょっと冷静になれますよね。ラベリングされ、いいように扱われることに、ずっと怒りや悲しみをいだいていたし、自分も若い頃はそうやって他者を踏んづけてきたよなあ、でもそうは言ってもNOを言わなきゃとか、ずっとぐるぐる考えてきたのですが、ちょっと冷静になってみれば、余裕があるのはむしろ私たちなのかもしれない、という視点を手に入れたことは大きな経験でした。「スター誕生」も、崖っぷち元アイドルが起死回生をはかって、SNSでバズった一般人の主婦を利用しようとする話ですが、誰かを利用しようとしている時点で、一人ではどうにもならない状況に追い込まれているってことじゃないですか。