ケガがなければ…”ガラスの天才”と称される打者(2)1シーズンで4度肉離れも
プロ野球の世界には、いつの時代も離脱さえなければ球界を代表する選手であろうという「ガラスの天才」がいる。高い能力を有しレギュラーとしての期待が大きい反面、その身体能力の高さゆえ、身体への負担が大きく、けがにつながってしまう悲運の選手たちだ。ここでは、誰もが認める高い能力を持ったガラスの打者を紹介する。
多村仁(仁志)
走攻守三拍子を備えたスラッガー・多村仁志。怪我との闘いがなければ、どれほどの本塁打を打っていたのか想像したくなる選手だ。 横浜高から地元球団の横浜に入団。高卒3年目の1997年に一軍デビューを果たす。その後、しばらくはレギュラー定着に至らなかったが、2004年に打率.305・40本塁打・100打点という驚異的な成績を残し、ブレイクを果たした。 2005年にも「3割30本」をクリアし、このまま軌道に乗り続けると誰もが思った中、2006年はわずか39試合の出場に留まる。同年のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)ではクリーンアップの一角として3本塁打を記録し、世界一に大きく貢献したものの、レギュラーシーズンでは、4月の試合で走塁時に肋骨を4本折るという大怪我に見舞われてしまった。 2006年オフにトレードでソフトバンクへ移籍した多村は、2007年シーズンに4度の肉離れを発症しながら132試合に出場。2010年は打率.324、27本塁打、89打点とチーム三冠の成績を残したが、以降は怪我の影響も大きく、規定打席に到達することはなかった。22年間で放った本塁打数は195。改めて振り返ると、「怪我がなければ」と思わずにはいられない。
ベースボールチャンネル編集部