【本田朋子アナ】大学生キャスターからフジテレビに入社したものの「月を見ながら泣いていた日もありました」|STORY
忙しさと孤独で涙を流すことが多い時期もありました
ーーアナウンサーで大変だったことは? スポーツ番組と他のバラエティ番組を兼任するのはスケジュール的に厳しいものがありました。『すぽると!』は基本的に昼間に野球やサッカーの現場を取材して、夜のオンエアに備えるのですが、連日夜中の2時帰りで、3時半に寝るような生活で、日曜日にゴルフの取材が入ると5時に出発しなくてはいけないので、寝る時間がなくて。夕方、会社に戻って、仮眠室で少しだけ仮眠をとって、メイクルームで髪の毛を洗って、本番に挑んでいました。その後も社食のかつ丼を食べて、また夜のオンエアに出て…なんて生活でしたね。取材がない時でも試合を見に行ってアスリートの方と信頼関係を築いていました。地道な取材活動は大変でしたが、大事な時間だったと思います。女子アナとよく言われた時代ですけど、本当に男も女も関係ない世界で、むしろ私がいたスポーツ番組は、8割は男性スタッフで女性だからとスケジュールも猶予されることもありませんでした。 27歳くらいの時は闇の時代がやってきて、『すぽると!』が終って2時くらいに家に帰ってマンションの部屋から月を見て涙を流したり、イヤホンで音楽を聴きながら、歩いていたら涙が出てきて、そのまま会社に行っていました。愛媛から上京して、周りに家族もいないし、友達とも時間が合わなくて、寂しさを紛らわすこともできないでいました。現場ではスタッフが家族みたいで、寂しさは感じなかったのですが、一歩外に出て、一人になると孤独に襲われる瞬間があったので、結構孤独な仕事でもあるなと思いました。
夢だったオリンピックキャスターを経て退職しましたが好きなアナウンサーの仕事は続けています
年月が経つとだんだんたくましくなって、海外出張も一人で行ったり、海外旅行も一人でも行けるようになりました。自分の中ではオリンピックキャスターをやりたいという夢があって、2012年のロンドンオリンピックでキャスターをやる夢が叶いました。2012年には夫と付き合っていましたが、夢を叶えてから結婚、退職しました。 今は夫の地方のチームについて転々としている生活なので、たまに東京に来て仕事をさせていただいています。他の仕事もやってみようと考えたこともありますが、やはり私はアナウンサーという仕事が一番ときめくので、以前よりも仕事の量は減りましたが、その分1回1回を大事に楽しみたいと思ってアナウンサーの仕事を続けています。 ワンピース¥49,500(LE PHIL)パンプス¥135,300(Sergio Rossi)イヤリング¥1,265,000(Buccellati) 撮影/浜村菜月 ヘア・メイク/かんだゆうこ スタイリスト/杉山朱美 取材/山崎智子