【本田朋子アナ】大学生キャスターからフジテレビに入社したものの「月を見ながら泣いていた日もありました」|STORY
ーーフジテレビに入社してやってみたかった番組はありましたか? 入社して一番はスポーツキャスターを『すぽると!』でやりたいと思っていました。アナウンサーであれば用意された原稿を読むのが仕事ですが、自分の足で情報を得て自分しか伝えられないことを限られた秒数の中で伝えるスポーツキャスターという仕事に惹かれていました。ありがたいことに入社して半年でその夢が叶いました。 でも、フジテレビの社員として出る『すぽると!』は今までとは違いました。それまではやはり学生目線でしか見えていなかったのだと思います。フジテレビ社員として研修を経て、いざ、その椅子に座ると、このVTRを誰が作って、どうやって取材して、どんな苦労をしてこの15秒のニュースを作ったのかということを知っているので、自分のコメントで15秒押すと、この最後のニュースがカットになってしまうと責任を感じるようになりました。他にも番組で起こったトラブルに対し代表して謝るなど、自分がこの番組を背負っているんだという自覚も出てきました。
念願のスポーツキャスターになったものの、背負いすぎてしまい撃沈
ーー念願のスポーツキャスターになってどうでしたか? 自分で背負いすぎてあまり笑えなくなってしまって。当時のプロデューサーの方に「学生の頃の方がよかったよ」と言われて、撃沈しました。そこから2~3年目が自分にとって苦しい時期でした。学生と社員では求められるものも違いますし、スポーツの仕事だけではなくて、バラエティの仕事もいただくようになると、台本にないフリートークが重要になるのですが、何も出てこなくなってしまいました。『すぽると!』の中でもフリートークが苦手で背負いすぎている分、すごいことを言わなくてはと思っていて自分が用意したものをただ読むだけで、結局何も伝わらないコメントしかできなくなっていました。 ーーそこから気持ちが変わったのは? とんねるずさんの番組に出るようになってから変わりました。この番組は台本にない流れがたくさんあって、自分を表現するシーンも出てきて、あまり肩肘張らなくてもいいと気が付きました。準備しすぎるのではなくて、進行を滞りなく進めていけば、台本に書いてある一言一句を正しく読まなくても、この場の流れを楽しむのが大切だと勉強になりました。3~4年目で自分の殻を破っていった時期でした。新人の頃は自分が聞いたことを全部詰め込みたいと思っていたのですが、そうではなくて「1つでいいんだ、1つのことを視聴者の方に伝えられたらいいんだ」と思うようになって、肩の荷が下りました。そうしたら自分の言葉もスムーズに出るようになりました。