姫路の旧野中外科、国登録文化財に モダンな風情の診療棟と病棟 地域医療支え60年 活用を模索
モダンなたたずまいが特徴で戦後復興期に開業した旧野中外科(兵庫県姫路市福中町)の診療棟と病棟が国登録有形文化財の指定を受けることが決まった。名物院長だった故野中仁作(にさく)さんが1957年に開業し、2018年に99歳で引退するまで約60年間、地域医療を支えた。長女の吉田智子さん(69)は「思い出の詰まった建物を残すことができてうれしい。活用も考えたい」と喜ぶ。(井上 駿) 【写真】直線的なデザインが特徴の旧野中外科の診療棟 野中さんは、旧制姫路中学から京都府立医科大に進み、陸軍の軍医に。終戦後は国立姫路病院(現・姫路医療センター)で勤務し、開業に備えていたという。 旧野中外科の診療棟は、西国街道沿いに位置する。大手鎖メーカーの濱中製鎖工業(同市白浜町)の創始者・濱中重太郎さんが銀行開設に向けて購入した土地で、1953年ごろには建物も完成していた。 だが戦後、大手前通りの整備が進んで街のメインストリートとなり、周辺の金融機関も移転していったため、濱中さんは開業を断念。土地と建物を野中さんが購入し、改修した。 診療棟は木造2階建て。外観は直線的なデザインで装飾がほとんどなく、モダニズム建築の特徴が垣間見える。1階の待合には受付のカウンターなど、銀行として建築された跡が残る。2階には、桜御殿と呼ばれる大広間がある。同時期に建築、改修された病棟も木造2階建てで、倉庫を転用したとみられる。 吉田さんによると、野中外科には盲腸の患者が数多く来院。豪放磊落(らいらく)な性格の野中さんは、術後の患者とおしゃべりを楽しんだ。患者以外にも野中さんを慕う人々が次々に訪れ、社交の場にもなっていたという。 野中さんは2020年1月に101歳で他界。遺族が話し合った結果、建物を残す方向で建築事務所に相談し、文化財指定に向け取り組んできたという。 吉田さんは「モダニズム建築の風情が感じられる貴重な建造物だと思う。城下町に位置するロケーションを生かし、地域に役立つような活用をしていきたい」としている。