羽生結弦さんの演技は、なぜ胸を打つのか…技術力だけではない、プロスケーターとしての「源流」とは
■ 「3・11」への想いが観客の感情に寄り添う滑りに 羽生さんは震災直後、被災地の故郷を一時的に離れ、神奈川のリンクで練習を再開する。当時の羽生さんは余震に体を震わせ、自分だけがスケートを続けていいのかと思い悩んでいた。未曾有の大震災で様変わりした故郷を後にしたときの心境は――。 今回のニューズウィークのインタビューの中で語られた「『自分は被災地から逃げた』という思いはずっと持っていました」という罪悪感と使命感を持って神奈川へ向かったという言葉は、重く心に響くものだった。それでも、前に進むことを決めたからこそ、いまの羽生さんがある。 羽生さんの演技に、なぜ人は心を揺さぶられるのか。その答えは、五輪2連覇の絶対王者が放つ美しい4回転ジャンプやトリプルアクセル、卓越したスケーティングスキルだけに起因するものではないだろう。生命の尊さはもちろん、ささやかな喜び、悲哀、日常にある小さな幸せ・・・。羽生さんが、人が見向きもしないようなことにも気持ちを傾けるからこそ、細部にまで息吹を感じさせるプログラムが完成していくのだと考える。 そして、9月のチャリティー演技会のように、心を込めて、被災者や観る人たち、演技を届けたい人たちへの感情に寄り添って滑るからこそ、温もりで包まれた演技になるのではないだろうか。源流の一つが「3・11」にあるように思えてならない。 羽生さんは競技者時代、練習拠点をカナダ・トロントに移してからも、東日本大震災が発生した時間には、時差に関係なく、日本の方角へ向けて黙祷を捧げた。今年の「3・11」の午後2時46分には、仙台市内のホテルの窓から海に向かって祈った。チャリティー演技会で能登の被災者に向けられた思いも深かった。被災地やアイスリンクに対する寄付は3億円以上になる。 なぜ、羽生さんは被災地へ眼差しを向け、震災と向き合い続けるのか。
■ 「羽生結弦」ブランドを復興に活かす ニューズウィークのインタビューの中で、羽生さんはこんな言葉を語っていた。 「競技時代は利己的というか、自分が出した結果によって感じる幸せがもっともっと強かったです。(中略)僕がみなさんのために一生懸命費やしてきた時間やエネルギーが、みなさんの笑顔や感情に直結したときがやっぱり一番幸せだなって思えてくる。プロになって余計にこういう性格になりました」 2011年は16歳だった青年は、復興へ歩みを進める地元に対して、政府などの支援を見つめる立場でしかなく、自らが支援活動を率先して行うことはできなかった。今は違う。五輪2連覇、絶対王者として国内外に浸透する絶大な「羽生結弦」ブランドがあり、自らの思いに賛同してくれるファンがいる。背中を押してくれる。 被災者へ寄り添う温かな心と、自らの思いを氷上で体現できる唯一無二の演技で、同じベクトルを向く仲間のスケーターたちと支援の輪を広げることもできるようになった。 手にした名声を自らに振り向けるのではなく、自分を少しでも必要としてくれている人たちへ還元する――。この思いが、慌ただしい時間の合間を縫ってでも、被災地と向き合う活動へとつながっているのだろう。 東日本大震災直後にスケートを続けるために被災地を飛びだしたときのような悲壮に満ちた使命感ではなく、ささやかであったとしても幸せや喜びを注いでいきたいというポジティブな感情で震災に思いを馳せ、行動する――。羽生さんのプロスケーターとしての矜持が、ここにもある。 田中 充(たなか・みつる) 尚美学園大学スポーツマネジメント学部准教授 1978年京都府生まれ。早稲田大学大学院スポーツ科学研究科修士課程を修了。産経新聞社を経て現職。専門はスポーツメディア論。プロ野球や米大リーグ、フィギュアスケートなどを取材し、子どもたちのスポーツ環境に関する報道もライフワーク。著書に「羽生結弦の肖像」(山と渓谷社)、共著に「スポーツをしない子どもたち」(扶桑社新書)など。
田中 充