阪神淡路大震災30年、街やインフラがどれだけきれいに復旧しても、そう簡単には「治らない」もの
■ 復旧復興が進むほどに見えにくくなる何か ズタズタになった都市インフラは長い時間かけて復旧した。横倒しになった高速道路は復旧し、ぐにゃぐにゃになった線路も元に戻った。がれきは撤去され、その場所に何か新しい建物がたった。 一見してきれいになった神戸の街では、今はもう震災の傷跡を探すことは困難になっている。言わんや、震災の前の街の雰囲気を残す場所すら、少なくなった。そんな街の中で、震災を知らない灯が唯一、震災を体感できる場所が、おそらくこの市場だ。 震災から7年が過ぎたばかりの神戸に全国紙記者の最初の勤務地として赴任し、大規模な復興再開発事業が進められ、高層ビルが林立して変貌していく長田の街を見つめながら、わたしは被災した人たちの取材をしてきた。まるで忘れられたように昭和の空気をまとってたたずみ続けている丸五市場にも何度も通った。 月日が経つに連れ、何かが見えにくくなり、丸五市場も訪れるたびにどんどん小さくなっているように感じられた。しかし、そこにずっと市場は存在してきた。稼働する店舗の数こそ減ったが、今もコミュニティーの中で、何かを黙して語り続けている。 古いシャッターが、狭い通路が、手書きの味がある看板の数々が、そしてちょっと目を凝らしたら見える物理的な震災の傷跡の数々が、ある種のフックとなって知らない者たちの感受性を刺激し、何かを問うてくる。
■ 体験がなければ当事者ではないのか 自分自身が体験していないことと、どうやったら向き合えるのだろうか。その体験がないということは、イコール、そのことの当事者ではないということなのだろうか。自分が知らないことについて、自分は「伝える」資格があるのだろうか――。 「記者」という仕事を始めてから気づけばもう23年。神戸から始まったわたしの記者人生、いろんな現場に行き、いろんな人の話を聞いてきたが、どんな取材でも、必ずその課題にぶち当たってきたように思う。そして、ぶち当たるたびにしんどさがどんどん蓄積していく。そして、自分がやっていることに何か意味があるのだろうか、と常にくよくよしてきた。一方で、そんなしんどさの割に、新聞社勤務を経てフリーになっても、相変わらず取材という営みを続けている自分がいる。 そんな記者生活の原点は、やはり私にとって神戸なのだと、わたしは「30年後」のこの映画を観たことによって再認識するに至った。震災を知らない灯が改めて教えてくれた。自分が持ち得ない体験を、自らの中に位置付けること。それが、自分自身が暮らす地域社会の、平時からのありようを問うているのだということに気づくということ。 ■ 「そこにある誰かの苦しみ」に気づける社会 映画のプロデューサーを務めた安成洋さん(60)にとって、精神科医として震災に遭遇し、地震によって心に傷を負った人たちに寄り添い続け、「心のケア」の重要性を、自らの仕事によって示しながらも震災から5年後に39歳の若さで早世した兄・安克昌さんの存在が、映画の制作に至った大きな原動力として存在しているという。 実際、彼の人生を描いたドラマを経て2021年に柄本佑主演で映画化された『心の傷を癒すということ 劇場版』の延長線上に、本作はある。 震災以降の神戸の人々との関わりあいの記録を克明に記した克昌さんが病に犯されながら亡くなる直前に記した言葉を、ずっと反芻し続けていると教えてくれた。 苦しみを癒すことよりも、それを理解することよりも前に、苦しみがそこにある、ということに、われわれは気づかなくてはならない。だが、この問いには声がない。それは発する場をもたない。それは隣人としてその人の傍に佇んだとき、はじめて感じられるものなのだ――。 安成洋さんに、発災から1年が経った能登への思いを尋ねると、一瞬言葉を詰まらせた後「忘れずにいること」だと静かに語った。そしてその後きっぱりとこう続けた。 「インフラの復旧復興もままならない中で、心の復興は後からついてくるのでは、とある人から言われ、即座に反論をした。先にインフラ、その次に心というそういう順番の問題ではない」 『港に灯がともる』 2025年1月17日(金)より新宿ピカデリー、ユーロスペース他全国順次公開 出演:富田望生 麻生祐未 甲本雅裕 監督・脚本:安達もじり 脚本:川島天見 音楽:世武裕子 製作:ミナトスタジオ 配給:太秦
宮崎 園子