ノーベル平和賞授賞式ドキュメントー喜びと決意の日
【オスロ=長崎新聞取材班】ノルウェー・オスロで10日、日本原水爆被害者団体協議会(被団協)にノーベル平和賞が授与された。壇上の被爆者は喜びとともに、核兵器廃絶の実現を見ぬままこの世を去った仲間たちを思い、命ある限り「核も戦争もない世界」を訴え続ける決意を新たにした。 午前0時半(日本時間午前8時半)、長崎被爆者の濵中紀子さん(80)はLINE(ライン)の通知音で目が覚めた。 「いよいよ授賞式ね」 「新聞記事に載っているのを見たよ」 日本の友人たちから連絡が相次いでいた。「授賞式の様子もライブで見てくれるかな」とほほ笑んだ。 午前8時半(同午後2時半)、日本原水爆被害者団体協議会(被団協)代表委員の田中熙巳さん(92)や箕牧智之さん(82)らが宿泊先のホテルで朝食を取っていた。同宿の記者たちが次々と隣に座り、話し込む。 代表団の通訳として同行するメリ・ジョイスさん(43)が隙を見つけて田中さんの隣に座り、リラックスした様子で談笑。 ジョイスさんは「あえて何ともない話をね。田中さんが緊張しないように」と明かした。 午前9時(同午後5時)前、ホテルの階段で記念写真を撮るため、代表団の被爆者らが集合し始めた。 核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)国際運営委員の川崎哲さん(56)はホテルのロビーで、田中さんに語りかけた。 「スピーチの時間が延びてもいい。(2017年の)ICANの時もそうでしたから。ゆっくり、大きな声で話しましょう。今年の平和賞は被団協だけなんですから」 田中さんはホッとした様子で「少し安心しました」。 ◆形見を胸に 正午(同午後8時)過ぎ、各国大使とみられる人たちが続々と会場のオスロ市庁舎に入り、記念撮影などをしてにぎやかに過ごした。 午後0時半(同午後8時半)、授賞式翌日に開かれるフォーラムで講演する長崎の医師、朝長万左男さん(81)が妻と共に会場入り。隣席の参列者と談笑した。被団協代表団も少しずつ着席する。 被団協代表団に加わった韓国原爆被害者協会の鄭源述会長(81)と被爆2世で韓国原爆被害者子孫会の李太宰会長(65)は韓服に身を包み、被団協の折り鶴バッジを着けて席に着いた。 午後0時47分(同午後8時47分)、長崎の代表理事、横山照子さん(83)が車いすで会場入りした。 胸には、原爆後障害に苦しみ44歳で亡くなった妹律子さんが作ったコサージュを着け、右手で触れた。 「ここからが始まり。いろんな被爆者がいろんな思いで生きて、亡くなっていった。妹もその一人。やりたいこともやれない、悲しい寂しい人生を誰も送らなくていい。核兵器も戦争も、世界からなくしたい」 ◆目をつぶり 午後1時(同午後9時)、授賞式が始まった。 午後1時半(同午後9時半)、田中熙巳さん、箕牧さんと長崎の代表委員、田中重光さん(84)が登壇。 箕牧さんが賞状を、続いて田中重光さんがメダルを受け取った。 午後1時35分(同午後9時35分)、田中熙巳さんの演説が始まった。 被団協メンバーは自席で目をつぶったり、じっと田中熙巳さんを見詰めたりして聞き入った。 各国大使館からの参列者は、生々しい被爆体験を聞くと、顔をしかめたり胸に手を当てたりした。 午後1時55分(同午後9時55分)、演説が終了。参加者たちは立ち上がって拍手し、田中熙巳さんをたたえた。 拍手が鳴りやまない中、会場後方から波打つようにスタンディングオベーションが広がった。 ◆「重要な日」 オスロの図書館では授賞式に合わせ、リアルタイムで視聴するパブリックビューイング(PV)が開かれた。会場では約100人が受賞を祝った。 授賞式に代表委員の3人が現れると、会場からは拍手が湧いた。 田中熙巳さんの演説が始まると、参加者たちはうなずきながら聞いていた。 ノルウェーで人権問題などに取り組む会社員、ベネディクテ・アンドレソンさん(22)は「素晴らしい日を共にお祝いできてうれしい。若い世代と一緒に活動し、より良い明日をつくる重要な日だ」と喜んだ。 オスロに住むテレサ・ボーグスタードさん(62)は「核廃絶のために活動し続けている日本人がいるのは、この不安定な世の中で希望だと感じる。孫にもこのことを伝え、スピーチを記憶に残したい」と語った。