<北陸記者リポート>センバツ・氷見 悲願の1勝へ 市一つに /富山
富山県氷見市内で唯一の高校の30年ぶりとなるセンバツ出場に、市民約4万人が沸いている。メンバー17人中16人が地元の生徒とあって、市が一つになって盛り上がっている。【青山郁子、萱原健一】 氷見高近くにある同市ふれあいスポーツセンターの館長、鎌仲正寿さん(65)は同県中学硬式野球協会や同市野球協会の副会長も務め、メンバーのほとんどが小学生からの顔なじみだ。もちろん氷見高OBで、1月27日に出場が決まった瞬間は「あまりのうれしさに涙が出そうになった」という。 特に思い入れが強いのは、西川晃成選手(2年)。小さい頃から泣き虫で、好機での凡打や失策した時などはベンチで泣いていたという。鎌仲さんは「それだけ野球に真剣に取り組んでいたのでしょう。涙もろかった選手が甲子園に立つかと思うだけで震えるほど感動的」と話す。 また、同市野球協会長の嶋田茂さん(62)は同高の同窓会長。出場決定の瞬間、目を赤くした一人だ。1978年の夏の富山大会で、昨夏と同じ決勝戦敗退という経験をしただけに「30年間以上、甲子園まであと一歩の繰り返しだっただけに、あの時の悪夢がようやく喜びに変わった。選手に感謝です」と手放しで祝福する。加えて、野球協会長の立場でも「これで中学生の市外流出も減るのでは」と期待する。 現在同高のユニホームは青色だが、実は、クリーム色に変わった時期がある。鎌仲さん、嶋田さんとも昔の青色時代のメンバーだけに今回、思い出の青色ユニホームでの甲子園出場は喜びもひとしお。もちろん2人とも甲子園の試合を現地で観戦予定といい、今からワクワクが止まらない様子だ。 鎌仲さんは「実力を出せば1勝、2勝とできるチーム。その実力を出せるか出せないかが鍵だろう。氷見はこれまで甲子園での勝ち星がないので、めざせ1勝だ」、嶋田さんは「緊張するとは思うが、まず甲子園の土を踏めることで喜びに変え、氷見伝統のチームワークなど持ち味を発揮してほしい。自分が実現できなかった甲子園を十分楽しんできて」とそれぞれエールを送る。 同市役所も職員全体で盛り上がる。主戦・青野拓海投手の伯母にあたる同市職員、東海孝子(のりこ)さんは出場決定直後、市役所で号外を手に取り、おいっ子に訪れた吉報を喜んだ。青野投手は東海さん宅の筋トレの器具を使ってトレーニングに励んできたといい、東海さんは「甲子園で1勝してほしい」と期待する。 また、氷見ナインは地元の少年野球教室など地域貢献活動にも積極的に関わっており、今年1月にも市内の小学6年生24人向けの教室に参加した。投球、守備、打撃など練習メニューは選手自身が話し合って決めているといい、大沢祥吾主将(2年)が「一緒に頑張りましょう」と呼びかけると、小学生たちは生き生きとボールを追いかけた。 主催した同市スポーツ少年団の安田幸之(こうじ)事務局長(58)は「野球人口が減る中、子供たちが氷見ナインの背中を追って全員そのまま氷見高校に進学してくれれば」と話す。そして「さらに子供たちの憧れが高まるような、良い試合を見せてほしい。当日は子供たちと一緒に精いっぱい応援します」と未来の高校球児とともに大会本番を楽しみにしている。