『名字で“家族の絆”は…決まりますか?』記者が問う【選択的夫婦別姓】母の決断…父の思い。最新の世論調査では61パーセントが賛成するも根強い反対意見も【特集】
三栗谷記者の母 「彼は“三栗谷”っていう名前を残したかったんです。あなた達を産んだときに入籍をして…産み終わったら“籍”を外して」 1876(明治9)年、初めて夫婦の姓が規定された時には【夫婦別氏】とされていました。 ところが22年後の1898(明治31)年に成立した民法では【夫婦同氏】となり、戦後の1947(昭和25)年の民法改正でも【夫婦同氏】のままでした。
実は、当時から“夫婦別姓”を認めるべきという声が上がっていたといいます。 立命館大学 二宮周平名誉教授 「1955(昭和30)年に“夫婦異性”を認めるべきという、こんな留保事項が公表されたんですね。“氏”が変わると社会活動している者にとっては、不便苦痛をもたらすと」「その負担は事実上、女の側に負わされていると…」 1980年代には“夫婦別姓”を求める市民運動が―。 さらに1996年には、法務省の法制審議会で【選択的夫婦別姓】を認める、民法の改正案が答申されました。ただ、国会には提出されず、今日まで国会での議論は行われていません。 立命館大学 二宮周平名誉教授 「“夫婦が同じ氏”を名乗る、“親子が同じ氏”を名乗る…それで“家族は一体なんだ”という(日本の)伝統が壊れるといって猛烈な反対運動が起きた」 根強い反対意見が、国会での議論を妨げる壁になっているのです。 私(三栗谷記者)は、最後に両親に尋ねました。『“名字”で家族の絆は…決まりますか?』。 三栗谷記者の父 「こういう家族を作って来られたので、何か(名字と家族の絆は)関係ありますか?と問われると…関係ないと思いますけれどね。“籍”が入っているから、こういう家族が出来るとか、そんな感覚は持ったことないですね」
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