「BiSHの中では“個性”の面で苦しみました」モモコグミカンパニーの現在地
グループ解散後の新たな活動
――モモコさんは、2023年の解散でグループの活動は一旦区切りをつけて、個人での活動をスタートされましたが、ファンの方々との関係に変化はありますか? モモコ「BiSH時代のファンにとっては、ずっと“BiSHのモモコグミカンパニー”なんです。私が辞めても、別のことをやっても、いつまでもそれは変わらないと思っています。その中で、今の自分の課題は“BiSHを知らなかった人に知ってもらう”こと。でも、ずっと応援してくださっている方の思いは裏切らないように、『支えてくれてありがとう。もうちょっと頑張るわ』という気持ちですね」 ――元々 “物書き”になりたかったとおっしゃっていましたが、アーティストとして活動されていた中で、その思いはどのように育ってきたのですか? モモコ「解散がきっかけですね。以前からエッセイとか何冊か出していましたが、解散という一つの区切りを提示された時に “一番怖いことをやってみよう”と小説を書きました。『一度きりの人生だからやんなきゃ。死ぬ気で書こう』と。 自分で手を伸ばして自分で切り開こうと、小説を書いて自分で編集者に送りました。それが自信にもなったし、自分のタレント性はそこで確立されたのかなと思っています」 ――“一番怖いことをやってみよう”というのはなかなかできることではないと思いますが、どう立ち向かっていったのですか? モモコ「明日死ぬとなったら、今日やりたいことをやりますよね。解散によってグループ抜きの自分の人生を考えた時に“自分ができることはなんだろう”という思考にシフトできて。東京ドームに立つのはグループとしての目標で自分の目標ではないと感じたので、自分の目標を探しました。 小説は書けないと思っていたのですが、『そもそも書いてないよね』と気づいて。何年も鍛錬してから“いざ小説を書こう”ではなくて、書きながら小説家になっていけばいいよねと思ったんです。 これは全てにおいて言えることで、完璧になるのを待っていたら何もできないから、やりながら成長していけばいい。“未熟だけどやろう”という精神は必要かな、と。やってみてダメだったら、見切りをつけてやめてもいい。『自分にはこれしかない』と思わない方がいいんじゃないかなと思います。 私も小説が書けないなら、また他の人生を考えよう、という気持ちでいました。気持ちを楽にして踏み出してみたら、単純に小説を書くのが楽しくて。“自分はここにいる。いていいんだ”という感覚を持てるようなことを頑張れたらいいんじゃないかなと思いました」 【プロフィール】 モモコグミカンパニー 9月4日生まれ。東京都出身。2015年、“楽器を持たないパンクバンド”BiSHのメンバーとしてデビューし、最も多くの楽曲の作詞を手掛ける。2023年6月29日、東京ドームのライブをもってグループ解散後は、小説家、アーティストなどマルチに活躍。著書に「目を合わせるということ」(シンコーミュージック)、「きみが夢にでてきたよ」(SW)、小説デビュー作「御伽の国のみくる」、渾身の青春サスペンス「悪魔のコーラス」(ともに河出書房新社)、初の短編小説集「コーヒーと失恋話」(SW)。プラモデルの魅力を伝えるアイドルグループLINKL PLANETの3期生オーディションに密着したドキュメンタリー番組「下剋上オーディション」(テレ東)でナレーションを担当している。 (撮影:田中健児)