国鉄食堂車や小田急車両が仲間入り 引退車両の「終着駅」ポッポの丘、鉄道愛好家の聖地に
とはいえ、搬送や修繕に充てる資金を少しでも残したいとの思いから、保存会のメンバーらは自前でCFの返礼品を拠出した。今井さんは「支援者や保存会の会員らが必死で集めた模型や鉄道部品といったコレクションを持ち出して工面した。出費を抑えるために背に腹は代えられなかった」と明かす。
デビュー当初、オレンジと濃紺の車体だった2200形は、昭和44年ごろから「アイボリーホワイト」を基調に青色の帯をまとったなじみ深い車体に変わった。救出した2両は現在、デビュー当初の旧カラーに塗り直されている。うち1両がポッポの丘に搬送された。
■鉄道の元祖、生きた教材に
現在もCFで支援を呼びかけているのは、大正時代に製造されたSL「加悦(かや)鉄道4号機」だ。河東鉄道(現・長野電鉄)や京都府北部の加悦鉄道(昭和60年廃線)で旅客や貨物の輸送で活躍した。
引退後、加悦SL広場(京都府与謝野町)に保存されていたが、令和2年に広場が閉園。解体の危機にさらされているのを知り、「加悦鉄道4号蒸気機関車保存会」(佐瀬賢太郎会長)がCFをスタートした。
資金が集まれば、4号機を京都府内からポッポの丘に搬送する予定で、「汽車ポッポ」が由来のポッポの丘では初めてSLを迎えることになる。保存会などによると、車両の状態は良好で、看板通り「ポッポ」と汽笛を響かせることもできそうだという。
ポッポの丘の広報担当でもある梅原さんは「SLは鉄道の元祖といえる。迫力がすごい。『シュッ、シュッ』と走るSLに乗ると、牽引(けんいん)される客車も『シュッ、シュッ』と動く。搬送できれば、生きた教材として子供たちに触ったり見たりして学んでほしい」と話す。(岡田浩明)