イラン核で大枠合意 オバマはなぜ「歴史的」と評したか
大幅に低下した戦争の危機
この合意によって2002年以来続いて来たイランと諸大国の間の対立が解消される道が開かれました。ただ、まだ詳細の交渉が残っています。イランは、国内の強硬派を説得する必要があります。同時にアメリカもイスラエルの影響力の強い議会を説得する必要があります。 というのはイランに対する経済制裁には様々な種類あるからです。国際連合の安全保障理事会の決議に基づいた制裁、アメリカの大統領の命令で発動されたもの、さらにはアメリカ議会の立法によって課された制裁もあります。安保理決議に基づくものは、安保理で制裁の解除を決議すれば撤廃できます。またアメリカの大統領の命令によるものも、オバマ大統領が制裁の停止を宣言すれば終わります。しかし、議会が法律を制定して課した制裁は、その法律の撤廃を議会が決議しなければ続きます。ということはイランが求めてきた制裁の即時かつ全面的な撤廃は、民主党のオバマ大統領が望んだとしても野党の共和党の支配する議会の協力がなければ行えません。その議会には前述のようにイスラエルの影響力が強いのです。しかも合意はイランの核武装を可能にするというのが、イスラエルの認識です。 問題の解消までには、まだまだ厳しい交渉が残されているわけです。しかし、この大枠の合意により、戦争の危機が大幅に低下しました。国際社会とイランが交渉による問題解決に合意した中で、イスラエルが単独で軍事行動を起こすのは困難です。また、この合意によってイランは経済制裁から抜け出し国際社会に復帰できます。この合意はイランとアメリカの長年の対立に終止符を打つ可能性さえ内包しています。
中東の対立構図が変わる可能性
この対立を理解するためには、イラン革命が起きた1979年まで遡る必要があります。というのは1979年の革命で王制が倒れるまで、イランはアメリカの重要な同盟者だったからでした。また、この同盟がアメリカの中東政策の要でした。ところが革命により成立したイスラム政権は、反米を掲げ、アメリカと対決する姿勢を鮮明にしました。この革命イランとアメリカの対立が、それ以降の中東情勢の基調となっていたのです。 今回の合意によって、この構図が変わるかも知れないと見られています。イランとアメリカの対立構造の中でアメリカ側に立っていたイスラエルやサウジアラビアなどが、この合意に不安を覚えている背景です。イランとアメリカの接近により、自分たちがワシントンから遠ざけられるのではないかと懸念しているのです。オバマ大統領が前述のように「歴史的」との言葉を使った背景です。