国民の過半数が賛成の「選択的夫婦別姓」が実現しないのはナゼ? 現役の“敏腕裁判長”が語る…最高裁判事が「全員65歳代後半」の深刻なリスク
裁判所が「司法修習生に不人気」の原因
裁判官出身者・検察官出身者にとっては、最高裁判事が通常の定年後も70歳まで勤続することができる最高ポストであるから、60歳代での就任もやむを得ないかも知れない。 しかし、その他の官僚や学者・弁護士出身者枠については、40歳代・50歳代の最高裁判事を任命すべきであろう。そうしなければ、平均的な国民世論とかけ離れた時代遅れの判例が積み重ねられることになってしまう。 裁判所が司法修習生に不人気なのは、高裁長官や地家裁所長ら「裁判をしない裁判官」による裁判官のSNSへの対処も含め、このような古い体質と感覚にあると思う。 尊敬する滝井繁男元最高裁判事(弁護士出身)に『最高裁判所は変わったか』(岩波書店、2009年)という名著があった。平成時代(1989年1月8日~2019年4月)の最高裁は、司法改革や政権交代の影響もあって若干のリベラル化の傾向が見られ、私も大いに期待していた。 しかし、現状の最高裁は、一貫して保守的で狭量とさえいえる政治的な任命人事の結果もあって、昭和時代への先祖返りをしていると評さざるを得ない。
最高裁に「裁判をしない裁判官」は必要か?
かつて、日本テレビ系で故・大橋巨泉氏が司会をする「巨泉のこんなモノいらない⁉」という人気番組があり、平成元年(1989年)9月17日の放送では「最高裁判所」が取り上げられた。その内容は番組本の最終巻(大橋巨泉『巨泉のこんなモノいらない⁉ 決定版〈第3巻〉』(日本テレビ放送網、1990年))の最終章で読むことができる。 私はさすがに最高裁が「いらない」とはいわない。憲法が定める最上級審であり、実際に憲法判断と判例統一も必要だからである。 最高裁判事を補佐する「最高裁調査官」も不要とはいわない。本当は先述の滝井元最高裁判事も提唱されていたように、アメリカ連邦最高裁のように各裁判官が雇い入れる「ロー・クラーク」制の方が優れていると思うが。 私が疑問を禁じ得ないのは、常に数十人もの「裁判をしない裁判官」を擁している「最高裁事務総局」が本当に必要なのか、ということである。優秀な書記官・事務官にやってもらえばよい仕事ではないのか。裁判官であるからには、下級裁判所で裁判を担当してもらった方がはるかに良いと思う。 下級裁判所の重要な事項も、長官や所長に安易に委任せず、原則どおり裁判官会議で討論して決議し、全員で裁判を分担した方が良い。そのためであれば、年に1日や2日は裁判官会議に費やしても惜しくはないと思う。 私は61歳である。65歳の定年まであと数年に過ぎなくなった。国民が真に「憲法の番人」として期待し、後進が希望に胸を膨らませて裁判官・事務官として入って来る、そんな裁判所に変わってほしいものだ。
竹内浩史(裁判官)