ダルビッシュ有の母・郁代「行ったらあかん!」次男の翔、中学生で初逮捕、更生施設に入るも消えなかった「葛藤とヤンチャ」
長男のダルビッシュ有、次男の翔、三男の賢太の3兄弟を育てた母・ダルビッシュ郁代さん。兄の有が野球で注目を浴びていく中で、翔の素行がどんどん悪くなっていき──(全6回中の4回)。 【画像】「膝の上に抱き抱えられてリラックスしてる表情がいいね!」子ども時代のダルビッシュ兄弟から成長して勇ましく兄弟でたたずむ姿まで(全7枚)
■授業中に教室から飛び出して ── 次男の翔さんは、大阪の西成で炊き出しをされたり、SNSなどでも活躍されていますが、子どもの頃は子育てでご苦労されたと聞いています。 郁代さん:次男は多動性(ADHD)でじっとできなかったので、目が離せなくて。日々世話に明け暮れていた感じはありました。
── 翔さんが多動性だとわかったのはいつくらいですか? 郁代さん:もうずっと何か違うなって思っていたんですけど。でも、うちの次男が産まれた約35年くらい前って、ADHDとか多動性といった言葉が日本ではほとんど出ていなかったんですね。とりあえずじっとしてない元気な子みたいな感じで思われていましたが、じっとしていない度合いが普通じゃないなっていうのは、母親から見ても感じてました。 翔は保育園に入れていましたが、保育園で体を動かすとか外遊びがメインになるような時期はまだよかったんですけど、それでも先生方にすればだいぶ手がかかったのは間違いないと思います。
── その後、小学生になるといかがでしたか? 郁代さん:小学校に入って翔の行動は明らかに目立ちました。机の前で椅子にじっと座っていられない。授業の途中でも教室を飛び出してしまって、先生がいくら注意をしても全然ダメ。当時は多動性という言葉もなかったので、担任の先生は私がしつけをしていないからだと思っておられたようです。 ただひとつラッキーだったのは、私がたまたま知的障害施設の所長さんと親しくして、いろいろ相談をしていたことです。所長さんが一度、学校の先生と会ってくださると言って、先生も翔にかなり手こずっていたんでしょうね。「ぜひ」と3人で話をする場を設けていただきました。
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