母と2人で火災の中を逃げ惑った鹿児島大空襲の経験を語る谷口あい子さん=鹿児島市山下町(南日本新聞社)
「人はまるで、火の海をさまよう魚の群れだった」 鹿児島大空襲から79年、炎の中を母と2人逃げ惑った女性が記憶をたどる
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