「私たちは“海賊船”に乗った仲間だよ」自らの子育てを終え“住み込みの里親”になった女性
里親から実のお母さんに手紙
「子どもの村」に来ている子供たちには、それぞれに、親と暮らせない様々な事情があります。中には、事情で一緒に暮らせないお母さんとの面会ができる子供たちもいます。 眞邉:お母さんに捨てられたわけじゃない。そこは一番大事にしたいと思っています。母親って、赤ちゃん産むだけでも大変じゃないですか。もうそこだけで本当に「愛情いっぱいで生まれてきたんだよ」って。きっとつらいことはまだあの子たちにはいっぱいあって、私がわからないところもいっぱいあると思うんですけど、でも「生きていくって、いいことだよ」と伝えたいなって。 眞邉:お母さんにも、最初の時に手紙を書いたんですね。 「今は他人に子育てを委ねても、人生は長いから、きっと私が今娘に助けられているみたいに、きっと30年、40年経ったら、お母さんとこの子たちの関係が、今度は子供たちがお母さんを助けるような関係になっていると思うので、今はお母さんが一番元気になることを大事にして。いつかこの子たちが、お母さんの元に帰れるように」。 それを大事にしたいなとは思っています。
愛情いっぱいの眞邉さんですが、子供たちはいずれお母さんの元にお返しする。それまでの間頑張ろう、と。基本的に里親制度は18歳までなので(大学に入学した場合は別)、養子縁組とは違って、期限限定の共同生活になります。 一般的な里親は自宅で預かりますが、ここは3棟の建物にそれぞれの里親家庭があって、3~4人の子供たちを育てていく。スタッフが周りにいるので、ちょっと体調が悪い時には手伝いに入ってくれたりもしますし、「村」で育てようとしているのが、この「SOS子供の村福岡」です。 育親を紹介するのはこれで3人目。眞邉さんは孫がいるようには全く見えないんですが「子育てをもう1回やってみたかった」とチャレンジするのは、なかなかすごいことだなと思います。 「SOS子どもの村福岡」の活動は、個人の支援会員が約1200人、企業は230社あまりが支えていますが、もう少し広がりがあるといいなと思っています。関心を持っていただけたら嬉しいです。
神戸金史(かんべ・かねぶみ)
1967年生まれ。毎日新聞に入社直後、雲仙噴火災害に遭遇。福岡、東京の社会部で勤務した後、2005年にRKBに転職。報道部長、ドキュメンタリーエグゼクティブプロデューサーなどを経て現職。近著に、ラジオ『SCRATCH差別と平成』やテレビ『イントレランスの時代』の制作過程を詳述した『ドキュメンタリーの現在 九州で足もとを掘る』(共著、石風社)がある。80分の最新ドキュメンタリー『リリアンの揺りかご』は3月30日、TBSドキュメンタリー映画祭・福岡会場で上映予定。