橋下徹が、政治家時代に感じた「嫌いな権力者にNO!と言える」日本の素晴らしさ
権力者に「NO!」と言える国、ニッポン
僕がまだ現役の政治家だった頃の話です。当時の僕は、大阪府政・市政を改革しようと奮闘していました。多くの仲間や支持者に支えられ、しかし同時に、反対者やアンチも多かった時期です。ワイドショーやネット空間では、僕への批判や誹謗中傷が飛び交っていました。そんな様子を、当時まだ小学生だった息子も察知していたのでしょう。一緒にシンガポールを旅した際、こんなことをぽつりと言ったのです。 「日本もシンガポールみたいに、政治家の言うことに国民が従う国だったら良かったのにね」と。 ご存じのとおり、シンガポールは1965年の独立以来、経済発展が目覚ましく、世界有数の観光立国・経済立国です。しかし、政治形態は事実上の一党独裁。世界でも稀な"成功した独裁体制"として異質の存在感を放っています。 この一党独裁状態に息子は感じるところがあったのでしょう。父親の悩みを軽減してあげたいという子ども心もあったのだと思います。そんな彼の気持ちには感謝しつつ、僕はこう言いました。 「日本の国民は、嫌いな政治家に『NO!』と言える権利を持っている。徹底批判できる。政治家という権力者を怖がらなくていい。だからこそ日本は素晴らしい国なんだよ」と。 たしかに一握りのリーダーが国民をけん引する政治体制は、強力なリーダーシップを発揮できます。その結果、シンガポールのように経済発展を遂げ、教育水準も高められ、世界から移住してくる高度人材が増えるのであれば、一見、問題はないように思えます。 しかし、繁栄が永遠に続く保証はどこにもありません。経済が発展している間は良くても、停滞したときにどうなるのでしょう。リーダーが権力に固執し始めたらどうなるのでしょう。より強烈な独裁体制に暴走し始めたとき、それを国民が止める仕組みはあるのでしょうか。 権力の暴走。僕らはいまそうした現実を目の当たりにしています。ロシアや中国、北朝鮮にイスラエル......。国のトップのタガが外れても、誰も止められない。国民が戦争を止めたくても止められない。市民がどれほど飢えようとリーダーはお構いなし。お年寄りや生まれたての赤子が殺されても、それを正義だという人びとがいるという現実に、僕らはどう向き合えばいいのでしょう。 見かけだけの選挙、見かけだけの国民支持で押し切る"強力すぎるリーダー"のもとでは、国民の声や、国際社会からの訴えはかき消されてしまうのです。 他国ばかりではありません。戦時中の日本でも、暴走する軍部や政府を国民が止められなかった経験を持ちます。結果的に日本はどうなったのか、僕らは歴史の授業で習ったはずです。 でも、僕らはたくさんの悲劇を乗り越えて、少しずつ学んできました。多くの教訓から、「権力者が暴走しないための仕組み」「人びとが幸せになるためのプロセス」を整えてきたのです。 「政治家が目指す方向が間違っていると国民が感じたとき、『嫌だ!』『自分たちは違う政治を望んでいる!』と堂々と言って、殺し合いをしなくても選挙を通じて、政治家から権力を奪うことができるいまの日本の政治は素晴らしいものなんだよ」 この言葉を、僕は息子に限らず、多くの若い人たちに声を大にして言いたいのです。
橋下徹(元大阪府知事)