小学校の卒業文集に「プロレスラーになる」“なにわのルチャドール”晴斗希が中学でプロレス教室が終了し目標を失う【週刊プロレス】
TV観戦やゲームではなく、初めてプロレスに触れたのがNOAHの生観戦。会場に響き渡るチョップやエルボーの音に衝撃を受け、目の前で繰り広げられる大人の闘いに魅せられた小学3年生の晴斗希少年は、卒業文集に将来の夢として「プロレスラーになる」とつづるほど夢中になった。一方で、プロレスラーになるにはどうすればいいかを模索。その中で見つけたのが、大阪プロレスが開講していたプロレス教室だった。 【写真】晴斗希が潮崎豪から3カウントを奪った必殺技「変型エル・モメント・デ・ムエルテ」
晴斗希少年がプロレス教室の扉を叩いたのは、小学5年も終わろうとしていた頃。当時、中心になって指導にあたっていたが、小峠篤司とえべっさん(3代目)だった。とはいえ子供の部の生徒は少なく、晴斗希のほかは菊池悠斗、松房龍哉、雄飛(現レフェリー)と彼の兄の5人だけだった。 当時の晴斗希少年は「シャイで自分から前へ行くタイプじゃなかった。親の後ろに隠れてプロレスを見る感じで、『(レスラーと)写真撮ってもらい』と言われても、『いや、ええよ』と断るようなタイプだった」と振り返る。菊池がリーダー格となってプロレス教室を盛り上げたいと積極的にほかの生徒を練習に参加するよう誘うことで教室通いが続いた。 だからといって晴斗希少年が同級生を誘うようなこともなし。ただ、憧れでもあるリングに上がって練習できることがうれしかった。 プロレスラーになりたい夢は日に日に募り、それを口に出すこともあった。しかし周りの反応は「なれんの?」「大丈夫?」という素っ気ないもの。担任の先生に伝えたところ、「とにかく心配されました。『やめといた方がいいんじゃない』って言われて。それは強く覚えてます」。 「そんな見方を見返してやろうってほどじゃないですけど、口にしたからには絶対なってやろうという思いだけは強かったですね」 小学校の卒業文集に「プロレスラーになる」と夢をつづったのは、そんな強い気持ちの表れでもあった。 「周りからすれば、メッチャおとなしい子だったと思います。あんまりしゃべらないし、外でみんなと遊ぶこともなく、1人部屋にこもって人形でプロレスごっこするような子供。自分の体でプロレスごっこするんじゃなく、人形でするんですから」と笑う晴斗希だが、プロレス教室には中学3年になったばかり春、大阪プロレスが2014年4月に常設会場を構えていたナスキーホール梅田から撤退するまで通った。 「あのまま大阪プロレスが続いてたら、ずっとプロレス教室に通って高校卒業と同時に入門してたと思います」と振り返る晴斗希少年からすれば、プロレス教室終了は目標を失ったにも等しい出来事だった。 中学時代、プロレス教室に通う一方でボクシングの練習もしていたという。もちろん将来、プロレスラーになるためにも格闘技を経験しておいた方がいいだろうとの考えから。しかし「自分には合わなかったみたいで」長続きしなかった。 それが逆に、プロレスラーへの夢をさらに強めることになったが、迫ってきたのがが高校進学。ツバサ選手にあこがれ、メキシコスタイルのルチャ・リブレの基礎を身につけるには……と考えて、「器械体操部のある高校に行こう」と決断。そして堺市内の初芝立命館高校に願書を提出した。 見事、受験に合格。器械体操部に入部したが……。(つづく) 橋爪哲也 <プロフィル> 晴斗希(はるとき)/本名・非公開。98年12月14日生まれ、大阪市出身。高校時代は器械体操に打ち込む。卒業後、単身メキシコに渡り、2018年3月3日(現地時間)ダイナミック・フライ、ブラック・ストゥルエンド相手の3WAYマッチでデビュー。帰国後、道頓堀プロレスに所属する。菊池悠斗との生え抜きコンビで2020年、2022年の「道頓堀最強タッグキング」に優勝。WDWシングル&タッグ2冠王者に輝くも、2023年9月の同団体10周年記念大会でタッグパートナーである菊池に敗れてシングル王座から転落。2024年3月からNOAHに限定参戦。現在は岩崎孝樹とのコンビでWDWタッグ王座を保持する。得意技は、エル・モメント・デ・ムエルテ、クルス・メヒカーノ。180cm、85kg。
週刊プロレス編集部