松崎しげる「親友」西田敏行さん死去に悲痛な叫び「最高な青春…西ヤン、また歌おう、そして酒飲もう!」
俳優の西田敏行さんが東京都内の自宅で死去したことが17日、分かった。76歳だった。ブレーク以前から交流があった20代からの親友・松崎しげるが追悼した。 【写真】1978年、NTV「西遊記」ロケに臨む西田敏行さん 以下全文。 盟友西田敏行が亡くなった… 自分が歌手として、西田が俳優として 売れる前からずっと一緒に過ごしてきた仲間が… 体の一部が剥ぎ取られたみたいに 悲しい、虚しい、悔しい… 2週間前にも酒を酌み交わした大親友… その時の彼の笑い声がまだ心に響いていて、 帰りにハグして、握手して、笑顔で「またね!」って 西ヤンとの想い出が沢山あり過ぎて… 西ヤンが頑張っていたから僕も頑張ってこれたのに… 先に逝かないでよ、、、西ヤン 一緒に創った最後の仕事は、二人が歩んできた証を 形にしようってレコーディングしたね… 楽しかったよ… 飲んで、飲んで、飲んで… 歌って、歌って、歌って… 遊んで、遊んで、遊んで… 僕達は出逢ってからずっと最高な青春を過ごしたね… 西ヤン、また歌おう、そして酒飲もう!酒飲むぞ!!! 松崎と西田はブレーク以前に六本木の飲み屋で知り合い、毎晩のように飲み歩いていたという逸話がある。スナックでの即興デュエットが夜の街で話題を集め、TBSスタッフが2人をバラエティー番組の進行役に起用し、1975年「ハッスル銀座」が誕生。この番組出演が契機となり、翌1976年に松崎は「愛のメモリー」が大ヒット。西田はTBSドラマ「三男三女婿一匹」の出演で、演技力が高く評価された。 ブレーク後も親交は続き、現在でも唯一無二の親友同士。22年にも松崎は西田さんとの飲み会を「74歳と72歳が止められるまで飲んでた」と明かし「彼は仕事に対しても凄いから。西田の背中を見ながら育ってきたよね。楽しむことしかしない人。弱気な発言は一回も聞いたことない。70過ぎたら学ぶべきだなって。いつもファイティングポーズをしていて、遊んでる時はジャブなんだよね」とうれしそうに語っていた。