急遽、鎌ヶ谷に呼び出された鍵谷陽平は「ジャイアンツです。よろしいですか?」とトレードを宣告された
── どんな感じで告げられたのですが? 鍵谷 次の日の朝、早出でグラウンドを走って、終わってからロッカーに戻ったら、球団の方が「そのままでいいから上に来て」と言われ、「ジャイアンツにトレードです。よろしいですか?」とひと言。嫌と言ったらクビなので、その場で「はい」って答えました。 ── ジャイアンツと言われて、どう思いましたか。 鍵谷 正直「ジャイアンツか......大丈夫かな」と思いました。ファイターズはジャイアンツと逆じゃないですか。のびのびというか、革新的というか。そういうチームからいきなり伝統あるチームに行って、すんなり入れるのかなという不安はありました。野球界にいるとわかるんですよ。ジャイアンツがどれだけ伝統があって、威厳あるチームというのが。 ── 子どもの頃は巨人ファンだったんですよね。 鍵谷 はい、応援していたチームだったので、そういう意味ではよかったなと思いました。それに中央大出身の人も多かったですし。 ── 阿部慎之助さんを筆頭に。 鍵谷 当時は阿部さん、亀井善行さん、澤村拓一さん、鍬原拓也がいて、スタッフには堀田一郎さんもいました。 ── 堀田さんは北海高校の先輩でもあります。 鍵谷 不安はありましたが、ものすごく心強かったです。 つづく>> 鍵谷陽平(かぎや・ようへい)/1990年9月23日、北海道亀田郡七飯町出身。北海高から中央大に進み、2012年ドラフト3位で日本ハムに入団。1年目から38試合に登板するなど、おもにリリーフとして活躍。17年にはシーズン60試合に登板した。19年シーズン途中から巨人に移籍。23年オフに戦力外通告を受けるも、古巣である日本ハムと育成契約を交わす。24年7月に支配下になるも一軍登板の機会がなく、9月に現役引退を発表。25年から日本ハムのチームスタッフとして活動する。妻は女優の青谷優衣
市川光治(光スタジオ)●取材・文 text by Ichikawa Mitsuharu(Hikaru Studio)