「地下一階の銭湯」「大量の座れる場所」「コンセント」まで。原宿に爆誕「ハラカド」訪れた私が”呆然(ぼうぜん)”とした理由とは?
興味深いのは、ハラカドはこうした「せんだら」需要に確かに応えるものだということだ。4Fの広場もそうで、全体として座る場所が多く、そこで無料で時間を潰すことができるし、なんならスマホの充電をすることもできる。 その意味で言えば、こうした「貴族の遊び」は、ハラカドに若い人を呼び込むことになりそうだ。 先ほども書いた通り、ハラカドはかつての「原宿セントラルアパート」のように若いクリエイターたちが集まり、新しいカルチャーを創造する場所を目指している。「若者の街」としての原宿の地位向上を目論んでいる、というわけだ。
その意味でいえば、こうした施設の狙いは、ある種の「貴族の遊び」で解決できることになる。ハラカドは、ある種の「余白」で、若い人を呼び込むことに成功しそうだ。 ■若者を呼び込んだうえで、「選別」もしている? しかし、私がここを訪れて感じたのは、むしろ、そのようにして、多様なさまざまな人を呼び込んでいるように見えて、実は、ハラカド自体が、かなり、そこにマッチする人を「選別」しているようにも思えること。そこにもう一つの「貴族の遊び」感がある。
先ほども書いた通り、そこに入っているテナントは、現代の人々に馴染み深いものではない。どこかエッジの利いたようなラインナップが揃っている。 例えば、2・3Fにある「COVER(カバー)」というギャラリーは、普通の若者が立ち入るには、ちょっと勇気がいるような空間だ。 公式サイトによると「出版社からの提供および一般の方からの寄贈で集まった約3,000冊を超える雑誌が集まる雑誌ライブラリー」で、『ガイアの夜明け』でも密着されていたのだが、なかなかエッジが利いている。
例えば月替わりで開催されるという企画展第1弾は、「約50誌の雑誌創刊号を展開」するというもの。 「今の時代に、雑誌の創刊号を好む若者がどれだけいるのか?」「プロデュースする会社(日販の子会社)の都合が出過ぎてないか?」……というツッコミはさておき、「選別」には良さそう。雑誌が読まれなくなっている現代において、その創刊号に興味を持つ若者は、相当に文化的だからだ。 これはあくまで企画展だが、無料の空間に行くためには、そうした、ある種の背伸びが必要な空間をかき分けて、行く必要がある、ということだ。加えて、インバウンドの外国人も多いし、ちょっと怖い。ある種の間口の狭さがハラカドにはある。