【昭和100年 映像館⑤】金鯱城下で映画撮影!昭和5年
中京テレビNEWS
昭和が誕生してから2025年で100年。欧米に追いつけ追い越せの激動の時代にたくさんの映像を残したカメラマンがいました。そのカメラマンがレンズ越しに見た昭和の貴重な映像を紹介します。第5回は、名古屋城下での映画撮影です。 日本で初めて、映画を撮影して上映したのが、明治32年(1899年)の『紅葉狩』。日本最古の映画といわれています。その後、映画は、庶民の娯楽となり定着していきます。昭和の初めには、年間500本の映画が作られたといいます。今回の映像は、昭和5年(1930年)6月に上映された『煉獄二道』(無声映画)という作品の撮影風景です。『煉獄二道』のメガホンを取った吉野二郎監督は、20年ほどのキャリアで、300本物映画を手がけ、『早撮りの名手』として、知られていたそうです。 ■映像説明 この映画のタイトルは、「煉獄二道」。当時新聞などにも連載されていた国枝史郎さんの伝奇小説と推察されます。この映画の製作を行ったのは、マキノプロダクション・御室撮影所(京都)。昭和2年にマキノプロダクションは、名古屋市南区に撮影所を作っています。映画の公開は、昭和5年6月13日。エキストラも動員しての大規模なロケですが、映画そのものが今以上に庶民には、身近なモノだったようです。撮影には、忍者役や役人に扮した役者が、撮影の仕事をしている様子も映っています。昭和の初めの映画製作の様子がわかるまさにメイキング映像!?手回し式のカメラや役者やスタッフの様子は、当時の映画作りを見るための貴重な映像です。 ■撮影者紹介 名古屋出身の映像作家:横井湖南氏(1910年~1957年=明治43年~昭和32年)。昭和の初め、映像制作会社や映画協会設立に関わる。映画の楽しさや奥深さを伝えた映像作家の草分け的存在。 【映像提供:横井克宜氏】