ヤクルト・原樹理、つらく険しかった1軍復帰への道のり 「一日一日を必死に生きていくだけ」
◇記者コラム「Free Talking」 プロ野球選手の契約更改交渉はシーズン終了後の恒例行事。選手にとって、そのシーズンの成績を踏まえた球団との“銭闘”は新たなシーズンへの決意を固める場でもある。ヤクルト・原樹理投手(31)は今季年俸の3000万円から600万円減でサイン。交渉後に、硬い表情で「来年は振れるところまで腕を振って、自分の中で突き抜けるしかない。先をというより、一日一日を必死に生きていくだけかなと思います」と語った。 2016年に東洋大からドラフト1位で入団。周囲の期待とは裏腹に、長くくすぶったが、チームがセ・リーグ2連覇を達成した22年に自己最多の8勝をマークした。しかし、さらなる飛躍を期した翌年は上半身のコンディション不良の影響で1軍登板がないままシーズンを終了。今夏に2年ぶりの1軍登板を果たすまでの道のりはつらく険しいものだった。 「バッターと対戦する前に自分と戦ってしまうのが本当に苦しかった。そんな状況では結果も出ない。何度も気持ち的に思うところはありました。大事なポイントだったりタイミングで、自分だけではきつかった中で、いろんな方にアドバイスをもらったり、励ましの言葉をもらったのが大きかった」 8月4日のイースタン・リーグ、ロッテ戦(ロッテ浦和)。8回に4番手で満塁本塁打を浴びた。その日の夜から次の日まではオフ。精神的なダメージでネガティブな思考がリピートした。そんなとき、周囲のサポートで視界が開けた。 「休み明けの練習からいろんな人が心配してくださって、いろんな言葉をかけてくれた。そこからボールが見違えるように変わった。自分がどうというのはなくて、すべて完全に周りの方のおかげです」 8月27日の巨人戦(神宮)で復帰登板。2番手で任された2イニングを1失点に抑えた。本拠地で浴びたヤクルトファンの声援は「感慨深いところがありました」としみじみ振り返る温かみのあるものだった。今季は全て中継ぎで7試合に登板。満足のいく数字ではないが、今後への光明が差した。背番号「16」から「52」に変更されたことを「仕方がないこと」と受け止めた。来年は笑顔で晩秋を迎える活躍を期待したい。(ヤクルト担当・小林良二)
中日スポーツ