《連載:東日本台風5年》(上) ハード面 復旧間近 危機意識向上なお課題
久慈川が流れる茨城県大子町中心部の一角に並ぶ、真新しいコンクリート群。5年前まで町庁舎があった場所では、2026年度開業予定の防災拠点施設の地下に埋設する貯水排水槽の整備が進む。今後、旧庁舎敷地は約2.5メートルかさ上げされ、周辺の堤防と同じ高さになる予定だ。 町は21年、アウトドア用品大手のモンベル(大阪市)と覚書を締結。同施設は防災に対応した観光交流施設となる予定で、災害発生時は、ヘリポートなどを備えた広域的な防災拠点「防災道の駅」の役割も担う。 26年度まで続く国の緊急治水対策事業では河川の堤防に加え、町中心部の「松沼橋」の整備も進み、ハード面の復旧完了は間近。「これからは前を向き、復旧から復興へと歩んでいかなければ」。高梨哲彦町長は力を込める。 ▼「慌てて避難」 新たな防災拠点の整備が進む中、住民の危機意識向上は道半ばだ。 19年10月12~13日に茨城県などを襲った東日本台風で同町は、町中心部を流れる久慈川や支流が氾濫し、1人死亡、588棟が浸水するなどの被害を受けた。 「まだまだ大丈夫だと思っていたら、あっという間に水かさが増し、慌てて2階に避難した」。久慈川沿いで暮らす羽石ケイ子さん(86)は、水が床上1メートルに達した当時の様子を振り返る。 町は当時、消防や町職員などが避難を呼びかけたが、実際に避難したのは対象者1万7000人のうち500人程度。23年6月の大雨でも16地区計2704世帯に避難指示を出したが、実際の避難者はわずか4世帯5人だった。 同町は人口に占める65歳以上の割合が49.3%(10月1日現在)と高齢者が多い地域。災害時の「逃げ遅れ」への懸念は続いており、羽石さんは「今後、避難できるかどうか」と不安そうな表情を浮かべる。 ▼マニュアル更新 住民の危機意識向上の鍵を握るのは、災害時に活用が期待されるコミュニティー放送局「FMだいご」。防災無線が未整備の同町ではラジオが全戸配布されており、電源が入っていれば災害時に自動で放送が流れる仕組みだ。 旧庁舎の敷地内にスタジオがあった放送局は当時、河川氾濫で浸水し防災関連の情報が途切れた。現在は高台に仮設スタジオを移し、観光交流施設の完成後は施設2階に移転する。 放送局は水害後、非常時のマニュアルを更新して、東電やJRなどに被害状況を確認する部署を新設。災害時には社員同士で情報の連絡を共有できるよう体制を再構築した。 局長の笠井英雄さん(58)は「自然災害はいつ起きてもおかしくない。しっかり備えたい」と強調。放送を通して住民の安全安心を守るつもりだ。 茨城県内に多くの被害をもたらした「東日本台風」から12日で5年を迎える。各地の現在と、自治体や関係者の取り組みを追った。
茨城新聞社