《明石歩道橋事故23年》教訓伝えるパネル展 遺族「自責の念」と「安全への発信」そのはざまで…
兵庫県明石市で2001年、花火大会に訪れた大勢の見物客が歩道橋上で転倒し、雑踏の中で11人が亡くなった事故は、7月21日に発生から23年を迎える。 【画像】明石・歩道橋事故を伝えるパネル展 事故の状況や教訓を伝えるパネル展が、あかし市民広場(JR・山陽電鉄 明石駅南・パピオスあかし2階 )で、18日に始まった。21日まで。 明石市は事故発生日を「市民安全の日」とし、歩道橋事故と、同年12月に起きた大蔵海岸・砂浜陥没事故を教訓に安全について考えてもらおうと、2013年からパネル展を実施している。 30枚あまりのパネルには、事故当時に歩道橋周辺で人が密集している写真のほか、再発防止のための安全対策や市の取り組みなどを展示。さらに水難事故や熱中症対策も含めた安心・安全について考える項目も追加した。 事故で当時2歳の次男・智仁ちゃんを亡くした下村誠治さん(神戸市垂水区)はラジオ関西の取材に 「事故の風化そのものは仕方がないかも知れない。しかし安全安心の意識を風化させてはいけない」と話す。 遺族にとって、この日を迎える気持ちは変わらない。亡くなった方々へ『助けてあげられなくて申し訳ない』という自責の念をずっと持ち続けている。 下村さんは「梅雨が明けて、いよいよ夏が来るこの時期、やはり事故を思い出してしまう。こうした中、何を教訓として伝えるか、これが生きる糧になっている。再発防止という言葉は、ここで生きてくる」と訴える。 2022年10月に起きた韓国・梨泰院(イテウォン)事故の遺族とも交流を続ける下村さん。「国は違えど、遺族の思いは一緒。最愛の家族を失い、これからどう生きていくのかという辛さを聞き、私たちも一緒に前を向き、歩んで行きたい。事故や自然災害は無防備な時、突然やってくる。海外では日本での事故を教訓として、安全対策への意識が向上している。そんな時、私たち遺族が手助けできれば」と願った。 当時75歳の母親・トミコさんを失った白井義道さん(神戸市西区)もこの日、パネル展に訪れた。白井さんはつねづね、「この事故は、『事件』だ」と訴える。それは、「事故の根本的な原因が、単なる個人の過失ではなく、警察や行政が最優先すべきだった“市民の生命を守る”という責務を怠ったから」と話す。そして、「“ただ悲しい事件”で終わらせるのではなく、教訓をどう生かし、再発防止につなげるかを考える機会に」と思いを語る。 ■「安全・安心のまち 明石 ~明石市の取り組み~」パネル展 2024年7月18日(木曜日)~7月21日(日曜日)あかし市民広場(パピオスあかし2階) 9時~21時 事故は2001年7月21日、午後8時45分~50分ごろに発生した。明石市・大蔵海岸で開かれた「市民夏まつり・花火大会」の会場とJR朝霧駅とを結ぶ歩道橋に集中した見物客が転倒、「群集雪崩(ぐんしゅうなだれ)」という現象が起き、11人が犠牲となった。
ラジオ関西