「交渉の天才」高橋是清が、困難な仕事を引き受ける際に上司に約束させた「四つの条件」
明治維新から40年、日本は日露戦争で大国ロシアを打ち負かし、世界を驚かせた。「世紀の番狂わせ」の立役者の一人が、当時の日銀副総裁で、のちに蔵相・首相を歴任する高橋是清。「交渉の天才」とも評された彼は、欧米での戦費調達という非常に困難な役目を見事に果たし、日本に勝利をもたらす原動力となった。 【写真を見る】築地の料亭に集まり「失敗したら国が滅びる」と泣いた高橋是清の上司たち メンバーが“歴史上の人物”!!
金融史に造詣が深い板谷敏彦さんの新刊『国家の命運は金融にあり 高橋是清の生涯(上)』(新潮社)には、交渉上手の是清が戦費調達の大役を引き受ける際に、上司にあたる元老に「四つの条件」を約束させた場面が描かれている。はたして、それはどのような条件だったのか。同書から一部を再編集して紹介する。 ***
急がれる戦費確保
明治37(1904)年2月4日の御前会議の後、元老松方正義は、井上馨、曾禰(そね)荒助大蔵大臣と共に大蔵大臣官邸へと向かった。現在の参議院議員会館の西隣辺りである。松尾臣善(しげよし)日銀総裁と阪谷芳郎大蔵次官も呼ばれている。 松方は、終わったばかりの御前会議で開戦が決まったことを松尾と阪谷に告げると、我々の責任は戦費の確保にあると言った。戦争に際して増税はもちろん行う、また内国債も発行する。国民は増税に耐え忍び、国債の募集にも喜んで応じるであろう。しかし我々にいかんともしがたいことは、輸入物資を買い、金本位制を維持するための正貨の確保、すなわち外国公債の募集である。ロンドンやパリ、あるいはニューヨークの投資家たちに我が国の国債を販売せねばならない。 「では、誰を派遣すべきか? 適任は誰か?」と松方は問うた。林董駐英公使は、阪谷次官のようなしかるべき地位の財務官僚が資金調達チームを従えてロンドンへ派遣されるべきと小村寿太郎外務大臣宛に具申していた。
男子の本懐
しかし松方をはじめ松尾総裁や阪谷次官は、その仕事には外債発行の事情に詳しく海外に知人が多い高橋是清が適任であると考えていた。松方は是清とは長い付き合いである。松尾総裁は日銀で一緒に働いてその能力をよく知っている。また阪谷次官はそれに加えて東京英語学校時代から是清を知っていて、その潜在能力を、つまり地頭の良さを高く評価していたのだ。 一方で曾禰大臣は毀誉褒貶(きよほうへん)が激しい是清に難色を示し、井上は自分が蔵相時代の秘書官であった三井銀行の早川千吉郎を推した。早川は、明治32年の公債発行を主導した人物である。しかしそれはうまくいかなかった経緯がある。そのため井上はどうしても早川というわけではなかった。是清のことも気に入っている。結局、井上が「日銀副総裁の高橋でよろしいでしょう」と同意し、欧米に派遣する財務官はとりあえず是清に決まったのである。 外債募集は困難極まりないが、まさに日本の運命を左右する大事な仕事だ。この仕事を与えられ、全うすることは、まさに男子の本懐である。是清はその重みにためらいながらも引き受けた。