東日本大震災で13歳の息子を失った女性 地震と津波の恐ろしさ伝え続ける「同じことは必ず起きる。だから忘れてはだめ」
「東日本大震災」から13年。 津波で息子を失った女性は、語り部として“あの日のこと”を伝え続けてきました。 ■【動画で見る】東日本大震災で13歳の息子を失った女性 地震と津波の恐ろしさ伝え続ける「同じことは必ず起きる。忘れてはだめ」 【丹野祐子さん】「歴史って必ず繰り返すじゃないですか。同じことは必ず起きるから、だから忘れてはだめなんだよ」 女性の経験を聞こうと、大阪にある学校の校長先生が東北へ。 子どもたちの命をどう守るのか…。先生が学んだこととは。
■息子を亡くした女性が語る“命を守ることの大切さ”
3月11日午後2時46分。 「黙とう」の声が響き渡り、人々は目を閉じて祈りをささげました。 家族を亡くした人、友人を亡くした人。 天国にいる大切な人に向けて、メッセージを書いた風船を打ち上げます。 【丹野祐子さん】「あの日助けてあげられなかった、たくさんの思いを言葉にして、これからも少しずつ、少しずつ、言葉を重ねながら生きていこうと思っています」
2011年3月11日、宮城県名取市の閖上(ゆりあげ)地区では、震度6強の地震が発生。その後、大きな津波が町全体を襲いました。 名取市では950人以上が犠牲になりましたが、そのほとんどが、海沿いにある閖上の住民でした。 町は跡形もなくなり、家も大切なものも、一瞬にして全てを失いました。 あの日をきっかけに、“自分の命を守ることの大切さ”を伝え続ける丹野祐子さん(55歳)。 今年1月、丹野さんは大阪・泉大津市の楠小学校で開かれた講演で、子どもたちにこう語りかけていました。 【丹野祐子さん】「ちょっとだけ想像してください。仲のいいお友達、隣にいる大切な友達、『明日も会える。当たり前だ』と思っているけど、ある日突然、この世から消えたらどうしますか?」
丹野祐子さんは、13年前のあの日、夫の両親と長男の公太さん(当時13歳)を亡くしたのです。 【丹野祐子さん】「津波が来るまで、1時間6分という時間がありました。(地震が来た後)近所の人と『今晩のご飯どうしよう』『どうやって部屋を片付けよう』。くだらない立ち話をしていたんです。隣には娘、ちょっと離れたところに息子。二人の子供がいたはずなのに、私は息子の姿を見失っていました。気づいた時には、がれきの中に息子の姿がありました」 公太さんは中学校に避難しようとしていたところ、高さ8メートルの津波に飲み込まれました。 “早く逃げて”。 丹野さんは、公太さんにその一言が言えなかったことをずっと後悔し、震災後から“自分の命を守ることの大切さ”を語り続けてきました。
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