祝・甲子園初優勝!健大高崎・青柳博文監督が明かす指導法「謙虚さがない選手は出しません」
「創部10年で甲子園に初出場し、次の10年で常連校となり、その後10年で優勝を計画していました。優勝は計画より早く叶った。皆さんのおかげです」 【祝・甲子園初優勝】満点スマイルで青春の1ページ…!「健大高崎部員と青柳博文監督」 今春の選抜高校野球で初優勝した高崎健康福祉大学高崎高校(群馬県・以下、健大高崎)。青柳博文(あおやぎひろふみ)監督(51)の頭には、苦楽を共にした選手やOBの顔が浮かんでいた。青柳監督の異色の半生と独特な指導法を、本人の言葉で紹介したい――。 前橋商の4番打者として3年春に甲子園出場。東北福祉大卒業後は、就職を機に本格的な野球からは遠ざかっていた。 「就職した部品メーカーでは軟式、地元の建設会社に転職してからはリクリエーションとして野球を楽しんでいました。建設会社では総務部に勤務し組織の在り方を学ぶ傍(かたわ)ら、いつか高校野球の指導者をやりたいと思っていたんです」 チャンスは’02年。前年に群馬女子短期大学附属高が共学の健大高崎になり、創設する野球部の指導者を探していたのだ。前橋商の恩師から声がかかり、指導者経験ゼロながら甲子園を目指せると考えた。だが、現実は甘くなかった。 「挨拶で部員に坊主頭にしてほしいと言ったら、15人いた部員の内5人ほどが辞めてしまったんです。野球経験者は半分ぐらいで、やる気もない……。練習態度も悪く、途中で座り込んでしまう。初めての公式戦直前には、部員たちの喫煙が発覚し謹慎処分まで受けました」 学校の手厚いサポートもありチームは徐々に力をつけ、目標に掲げた10年を待たずに’11年夏の甲子園に初出場。そこから常連校になる。背景には、チーム指導に採用した分業体制があった。 「当初は私と部長で指導するスタイルでしたが、大勢の部員を見るには限界があります。サラリーマン時代、それぞれの役割をこなす管理職がいて会社が回っていくのを経験していたので、分業制で指導すれば強くなるのではないかと考えたのです。そこで、OBなどに頼んでコーチを多く採用。打撃、守備、走塁、スカウティングなど担当制にし、それぞれに責任を持たせると上手く機能し始めました。いまスタッフは8人ほど。練習メニューもコーチが考えます」 全国の良い選手が集まるようになったが、それだけでは強いチームにならない。 「中学時代に実績のある子はプライドが高いんです。しかし素直さや謙虚さがないと能力は伸びない。技術が優れていても、泥臭く一生懸命やらない選手は試合に出しません。なぜ自分は使ってもらえないのかを考え、頑張る気持ちを持ってもらいたいからです。部員は主力、育成、新人のいずれかのチームに所属しますが、野球が上手いだけでは主力に入れない。謙虚さの重要性に気づいて、レギュラーに成長した子もたくさんいます」 次の目標は春夏連覇だ。 「試合数が多い夏は、エース級の投手が3人いないと勝てません。現在いる2人の主力投手に加え、もう一人を夏までに育てて全国制覇を狙います」 青柳監督が目指すのは「スペクタクルベースボール」。常識にとらわれず、観客を魅了する野球だ。 『FRIDAY』2024年4月26日号より 取材・文:形山昌由(ジャーナリスト)
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