「政治家が高学歴化しない」のは日本の知的伝統なのか――「科挙」を導入しなかった反知性主義社会のゆくえ
■政治家の学位が低いのはなぜか
森本:そうか! 今でも「勉強だけがすべてじゃない」という考え方はありますが、そのルーツは江戸時代まで遡ると見えてくるのですね。まあ、実際にその台詞が出てくる場面を考えると、確固とした信念というより、勉強嫌いの言い訳みたいに聞こえそうだけど。 河野:よく言われることですが、いまだに日本の政治家の学歴はそう高くない。いや、東大とか慶應とかごろごろいるじゃないかと言われるかもしれません。また『反・東大』のなかではマスコミと並んで政界に人材を多数送り込んだ早稲田のことが扱われていましたが、たしかに早稲田も多そうです。「雄弁会」とか。ただそこで言われているのは専門的には「学校歴」のことで、「学位」という意味での「学歴」ではない。端的に言えば、修士号や博士号を持っている政治家はいまだにごくわずかです。これに対し、たとえば欧州では多くの政治家が当然のように博士号を持っています。 森本:そうなんです。その点では日本はちっとも学歴社会なんかじゃなくて、「教育後進国」です。その一方で、さっき河野さんが言われたように、「だから何なんだ」と開き直る人も多いでしょう(笑)。大学教員の立場からするとやや複雑な気持ちですが、その意味では日本はとても平等な社会と言えるのかもしれません。 河野:おっしゃる通りです。欧州の高学歴の政治家たちが、エリート意識丸出しの政治を行って国民の反感を買っている姿を見ていると、むしろ日本の方がいいんじゃないかとさえ思えてくる(笑)。実際、たとえばヤシャ・モンクのような政治学者は欧米における議員の極端な高学歴化をリベラル・デモクラシーの危機の要因の一つに挙げていますが、その心配は、幸か不幸か、日本にはなさそうです。 いま文科省は博士号取得者を増やしていこうと躍起になっていて、私もそのこと自体は悪い話ではないと思っていますが、はたして反知性主義の土壌がある日本社会で受け入れられるかどうか・・・。 森本:企業の側も、博士号を取った30歳過ぎの人材を採用するよりも、学部を卒業したばかりの若い人材にオン・ザ・ジョブ・トレーニングを施した方がいいという発想が根強くあるように見えますね。