「サイレント・イヴ」の辛島美登里 大学時代までは「就職して、見通しの明るい人と結婚するのが一番いいと思っていた」のに…
「1回ぐらいチャレンジしなきゃ」
高校は進学校で、勉強に忙しい日々を送り、奈良女子大に入ってからようやく自由な時間を享受できるようになった。人前でのパフォーマンスが苦手な自身を変えるためにも「バンドをやってみたい」と考えていたが、思う形の軽音楽部などはなく、入ったのは合唱部。「このままだったら、鹿児島に帰って就職し、普通に結婚して子どもを育てるんだろうな」とも考えたという。だがそこではたと考えた。 「1回ぐらい(人生において)チャレンジしなきゃダメなんじゃないか」 その思いは日増しに強まり、大学3年時にポプコンに応募する。本来なら他人に歌ってほしいと考えていたが、バンドも実際にやったことがなく「表現するすべがなかった」という理由で、自身の弾き語りでデモテープを送った。後の歌手、辛島美登里につながるあけぼのがここにあった。 デモテープの歌は、奈良のあじさい寺の様子やその感動をテーマにした「雨の日」。「奈良っぽい曲を書こうと思った。商業ベースには乗らない歌だけど、せっかく奈良にいるんだから」と作ったところ、奈良予選を通過して関西四国地区の代表を勝ち取り、全国大会となるつま恋(静岡県掛川市)での本選に進出。最終的にはグランプリを獲得し、翌年3月にシングル曲として発売された。
手の届かない世界だと思っていたのに
辛島の中では「やりきれたな」という思いもあり、大学3年で就職戦線も現実の道として見えてきた頃には、こんな将来も描いていたという。 「高校受験に失敗して浪人したこともあって、『もう踏み外したくない』という思いが強かったんですね。父も公務員だし、本当に真面目な家庭で、音楽でチャラチャラやってすぐにポシャってしまうぐらいだったら、ちゃんとしたところに就職して、見通しの明るい人と結婚するのが一番いいと思っていたんです」 その言葉通り、奈良女子大では家政学部を選び、高等学校の家庭科教員になろうと、母校の鹿児島県立鶴丸高校へ教育実習にも行き、教員免許を取得した。実際にその道に進んでいたら、数々の名曲が世に出ることはなかったのかもしれない。 ただ、ポプコンのグランプリで垣間見た世界への憧憬は、簡単に捨てられるようなものでなかったことも事実だった。 「自分では到底手の届かない世界だと思っていたのが、一度扉を開けてしまった。見てみると可能性も見えてしまって。その思いが止められなくなって、周りのみんなが就職活動をしていても、私はする気にもなれなくて。可能性がせっかく見えるならもう少し進んでみたいと考えました」