金子エミ「子宮がん発覚と同時に離婚」パーツモデルに復帰し再婚するも「離婚してほしい」と夫に切りだされた波乱の人生
いまの夫に会ったのは、ちょうどその頃のことです。
■「友達だった彼」と再婚を決めたきっかけとは ── 再婚された経緯をうかがってもいいですか。 金子さん:私は結婚するつもりはなかったんです。海人とふたりでやっていこうと思っていたし、病気のこともありましたし。 のちに夫となる彼はテレビ局でプロデューサーをしていて、彼が担当する番組に、私の友達が出ていたんです。彼女が「手タレの友達がいる」という話をしたら、彼が「ぜひ会ってみたい」というので、紹介されました。手だけしか出さないモデルに会うのは初めてだったらしくて。神秘的なイメージがあったんでしょうね。
彼とは食の好みやファッションの好みが合って、女友達と一緒にいるみたいに楽しかったんです。いつもみんなでワイワイごはんを食べていたんですけど、たまたま家が近かったので、帰りに「一緒にタクシーに乗ろうか」ということになって。それがふたりで会うようになったきっかけでした。 それから海人も一緒に個人的に会うようになって、3回目くらいのデートで、彼に「結婚しようか」と言われたんです。彼も思い立ったら行動が早いタイプで、そのスピード感も合うんですよね(笑)。でも、そのとき私はまだレーザーで処置を受けたばかりだったので、「半年後の検査で、セーフだったら考えさせて」と返事を保留にしてもらいました。
── 検査の結果、晴れてご結婚を? 金子さん:そうですね。検査の結果が問題なかったので、結婚することにしました。披露宴のとき、司会の方に「どうして彼女と結婚しようと思ったんですか」と聞かれて、彼は私が海人のお尻に指を入れているのを見て「結婚しよう」と思った、と答えたんです。「ええ?そこ?」と思いました。披露宴にはタレントのヒロミさんも来てくださっていて、その答えを聞いて大笑いされていました。「そこかよ」って(笑)。
■「離婚してほしい」と言われて仕事に本格復帰 ── 新しい家族ができて、生活は変わりましたか。 金子さん:それが…念願だった次男も産まれて、4人家族になったと思ったら、夫が名古屋に単身赴任になったんです。ひとりで子育てをするのはほんとうに大変で、あまり記憶がないくらいです。そんなとき、夫から「離婚してほしい」と言われたんです。まだ次男が2歳か3歳の頃です。理由は聞いていません。だいたいの想像はついていましたけど、詮索はしませんでした。詮索したり探ったりしても、いいことはないと思っているので。
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