「いろんな夫婦のカタチがあっていい」別居婚のmisonoが夫の病気を乗り越えて目指す“これから”
神田美苑として考える“これから”のこと
2018年に別居婚を発表した二人ですが、同年11月にNosukeさんに精巣がんが見つかったことで、生活は一変しました。1年近く入退院を繰り返す闘病生活を経て、現在は仕事に復帰するまでに回復したNosukeさん。一方で、Nosukeさんの闘病時も、その後misonoさんがメニエール病を公表したときも、心無い誹謗中傷があったといいます。 ――これまでいろいろな壁がありながらも、お二人が夫婦関係を続けられている理由はどこにあると思いますか? misonoさん: これまでネットでは「misonoは夫の病気を利用して金儲け、売名行為をしている」とか、逆に「Nosukeのせいでmisonoが体調を崩してかわいそう」とか、いろいろ言われて。その都度自分は傷ついて落ち込んでしまうのですが、Nosukeは何も変わらないので「自分たちのスタイルを貫きたい」という気持ちは強くなりましたね。ネットでどれだけ悪いことを書かれても、「misonoが誰にどう言われようが、俺は嫌いにならないし、俺が好きだからいい」とNosukeはすべてを受け入れてくれます。 身近な人には、「Nosukeじゃなかったらとっくの昔に離婚してる」「離婚したらNosuke以上の人は現れない」とか言われるんです。「いや、すぐに再婚できるって」と返すんですけど、なんだかんだうまくいってるのはNosukeのおかげでしかないです(笑)。 Nosukeはいろんなことを笑いに変えてくれるんですよ。例えば、ウチが「またゴミを置いたままにして捨てていない!」って怒鳴るとするじゃないですか。そしたら「今日もいい声出てるねぇ。お腹から声出てる!」って返してくるから自分も笑ってしまうんです。こうすればmisonoは笑って許してくれるっていうのを身につけてるんです。 ――Nosukeさんとの夫婦の将来像があれば教えてください。 misonoさん: あと二人でやり残していることは、子づくりくらいです。Nosukeが精巣がんになったことで、お医者さんには2年間は妊活を控えるように言われていたんです。まだ諦めていないですが、本当に子どもができるって奇跡なんだなと思いますし、今はその厳しさや難しさも実感しています。 これまではずっとローマ字の“misono”として仕事生活を優先してきましたが、もし子どもができたら、子ども中心の生活をしたいです。それはイコール本名の神田美苑(こうだみその)として家庭を一番に考えて、自分の時間と労力を家族のために使い、神田真之介(こうだしんのすけ)とともに、これからも生きていきたいということです。Nosukeと二人でも100点満点は余裕で超えているので、もし子どもができたら500点くらいになるんじゃないですか。子どもができた場合、もしかしたら別居婚のようなあり方も変わっていくと思いますが、どちらにしても、死ぬまで今の満点をどんどんプラスにしたいです。 「もう1回生まれ変わったらmisonoになりたい?」って言われたら全く別の人間として違う道を歩みたいですけど(笑)、でも神田美苑としてもmisonoとしても恵まれすぎている人生です。こんなにも大変なのにそう思えるのは、Nosukeを含め最強の家族がいてくれるからこそですね。 ---- misono 1984年生まれ、京都府出身。夫はロックバンド「HighsidE」のドラマー・Nosuke。2002年に「day after tomorrow」のボーカルとしてデビュー。2006年にソロデビューを果たし、音楽活動にとどまらず女優業、バラエティ、ものまね番組でも活躍し、海外にも進出している。2018年に所属事務所から独立し、チャリティ、ボランティア活動に従事。現在は母が経営していたエステサロンを引き継ぎ、実業家として講演会なども行なっている。YouTubeチャンネル「misono ch」も配信中。 文:市川茜 制作協力:Viibar