『SEVENDAYS FOOTBALLDAY』:支える人(帝京高・大橋藍)
東京のユースサッカーの魅力、注目ポイントや国内外サッカーのトピックなどを紹介するコラム、「SEVENDAYS FOOTBALLDAY」 【写真】福田師王が大胆イメチェン「ライオンじゃん」「圧倒的金ピカ」 負けてしまえば後悔はもちろんあるけれど、最高のみんなと過ごしてきた3年間に悔いはない。弾き出せなかったPKも、勝ち切れなかった最後の試合も、きっと未来の自分を励ましてくれる、大事な思い出の1つになる。ここで競技者としてのサッカーは一区切り。これからは支えられる側から、支える側へ移って、1人でも多くの悩める人たちに寄り添っていく。 「もう死ぬほど楽しかったですね。今までのキャリアで一番楽しかったです。高校生がみんな目標にしているこの場に立てたということは、人生のピークかどうかはわからないですけど(笑)、ここまで連れてきてくれたチームメイトには感謝しかないですし、お母さんもお父さんも家族みんなが自分のことを支えてくれていたので、本当に『ありがとう』ということを伝えたいなと思っています」。 15年ぶりに選手権へと帰ってきた帝京高(東京A)を、ゴールマウスから支え続けてきた背番号1の頼れる正守護神。GK大橋藍(3年=FC東京U-15深川出身)は晴れ舞台で味わったかけがえのない経験を、自分の核に刻み込んで、新しいフィールドへと羽ばたいていく。 秋の気配も近付きつつある、10月のある夜のこと。大橋は自分でも驚くほど、流れる涙を止めることができなかった。プリンスリーグ関東1部第16節。浦和レッズユースとの一戦はボールこそ圧倒的に支配しながら、結果は1-2で敗戦。「最近は失点も多くて、自分の責任をメチャメチャ感じていますし、チームに迷惑を掛けているとずっと思っています」。リーグ戦3連敗を喫すると、昂った感情を抑え切れない。 一時は過呼吸に陥るほど泣いていた大橋だったが、少しずつ平静さを取り戻していく。「今は3連敗している中で、『自分が出てもチームのためになってないのかな……』と思ったり、『でも、出るからにはチームのためにやらなきゃな』と思ったりして、空回りはしていないと思うんですけど、結果が出ないのは自分のせいだなと思っています」。悔しさ。焦り。不安。いろいろなものがない交ぜになって、心のコントロールが利かなくなったのだ。 それでも、2週間後にはもう最後の選手権予選が幕を開ける。そのことについて尋ねると、興味深い答えが返ってきた。「毎年毎年、帝京は『今年こそ』じゃないですか。でも、そう言っていると結局今年もいつも通りなんじゃないかと自分では思っていて、今日もそうですけど、目の前の試合に勝てないチームが、そんな上のことを目指しても意味がなくて、たぶんみんな『今年こそ、今年こそ』と思っていますし、そう言うと思うんですけど、自分は目の前の試合を勝って、その次も目の前の試合に勝って、結果的に全国の切符を掴むだけだと思っているので、1個1個勝っていって、結果的に全国に出られればいいのかなと思います」。もう『今年こそ』は聞き飽きた。自分たちがその呪縛を解き放ってやる。大橋ははっきりとした決意を定めていた。 帝京にとって選手権予選の2試合目となる、準々決勝の東海大高輪台高戦。帝京のゴールマウスにはGK尾崎克蔵(3年)が立っていた。メンバー表を見ると、大橋の名前は20人の試合メンバーの欄ではなく、ベンチスタッフの欄の上から3番目に、“マネージャー”という肩書きで書き込まれていた。 「準々決勝の前ぐらいに、ヒザの内側側副靭帯をやってしまったんです」。ケガの影響で試合出場が叶わなかったため、3年間にわたって切磋琢磨してきた尾崎に想いを託し、時にはベンチからテクニカルエリアまで飛び出して、チームメイトたちを声で鼓舞し続ける。 試合は前半のうちに先制点を奪われたものの、終わってみれば4-2と逆転勝ち。試合後には大橋と尾崎も抱き合って、勝利の歓喜を共有する。準決勝は大橋がスタメンに復帰し、東京実高に2-1で競り勝って決勝へと進出。カナリア軍団は悲願の全国出場へ王手を懸けることになる。 冬の訪れが間近に迫った、11月の駒沢陸上競技場。大橋はやはりこみあげてくる涙を我慢できなかった。高校選手権予選決勝。國學院久我山高との一戦は、同点で迎えた後半の最終盤にFW土屋裕豊(3年)が決勝点となるPKを沈め、2-1で勝利。実に15年ぶりとなる全国切符を掴み取る。 「試合が終わった瞬間は、解放された感じでした。プリンスは結果が付いてこなかったこともあって、自分も責任を感じて苦しかった中で、今日は『勝ちたい!』という想いも、勝たなくてはいけないという重圧もあったので、レフェリーが笛を鳴らした瞬間に『ああ、終わったんだ……』と。もう力が入らないというか、『やったんだ……』という感じでした」。 “デジャブ”のようなシーンがあった。チームが土壇場でPKを獲得すると、背番号1は相手陣内へと駆け出していく。ちょうど1年前の選手権予選準々決勝で、大橋は試合中のPKキッカーに指名され、しかも冷静にそれを沈めている。成功すれば限りなく優勝を手繰り寄せられる極限のPKを、この日も自ら蹴りに行ったのかと思ったのだ。 「もし入らなかった時のマインドの持ち方って絶対に難しいじゃないですか。スタンドの声援もあって声が聞こえないので、そのマインドのことを全員に言いに、相手のコートまで行きました。PKを蹴る気はまったくなかったです(笑)」 みんなで引き寄せた選手権の晴れ舞台。大橋はチームの成長に小さくない手応えを感じていた。「1人1人みんな言いたいことを言うんですけど、良い時はちゃんと言い合えるようになってきましたし、それでも冷静さもあって、良いチームになったと思います。全国でも1日1日勝つことをイメージして、結果的に優勝できたらいいなと思っています」。3年目でようやく『今年こそ』を乗り越えて、たどり着いた初めての選手権。みんなで憧れのピッチに立つ日が来るのが、とにかく楽しみだった。 選手権の開幕を前に、競技者として真剣に上を目指すサッカーはこの大会で最後にする決断を、大橋は下していた。「自分はそこまで身長がないので、これからの将来を考えても、大学で4年間サッカーをやるよりは、何か違うことをやってもいいのかなって。現実をちゃんと見た時に、『サッカーで夢は見れないかな』と思ったんです。正直、高校に入る時からそういう想いはありましたね」。 進学先は帝京科学大学。医療科学部で勉学に励み、柔道整復師とアスレティックトレーナーを目指すという。きっかけはチームに帯同してくれているトレーナーの方の存在だった。 「帝京科学大学のAT(アスレティックトレーナー)の人たちが帝京のサポートをしてくれているんですけど、自分がケガをしてリハビリをしている時に、そういう方々に支えられていることを実感したんです。もう大学ではサッカーをやらないと決めていたので、『何をしようかな?』と考えた時に、『そういう道に回ろうかな』と決意しました」。 実は選手権を目前に控えた練習試合で、大橋は右ヒザの半月板を傷めている。「ケガした時は歩けなかったですし、『自分は終わったんだ……』と思って寝れなかった時に、吉田さん(吉田正晴トレーナー)が自分と話してくれて、サポートしてもらったことで前向きになれたので、本当に感謝しています」。常日頃からお世話になってきた吉田トレーナーの存在が、その進むべき道を後押ししてくれたことも間違いない。 もちろん100パーセントの状態には回復していないが、やるしかない。「自分は大学でサッカーをやらないので、最悪ここで壊れてもいいかなと。ヒザの痛みが怖くて止められないのが一番悔しいですし、それだとチームに迷惑が掛かるので、行くだけ行って、壊れたらしょうがないというぐらいの感じです」。最後まで帝京の守護神としての矜持は貫いてみせる。もう覚悟は決めていた。 「意外と緊張しなかったですね。入場して、グラウンドで軽くボールを蹴ったりした時に、『今日は楽しめるな』と思いました。やっぱり国立競技場って本当に広くて、『ああ、ここでできるんだ』というワクワク感が大きかったです」。 高校選手権開幕戦。京都橘高(京都)と対峙する舞台は、日本サッカー界の聖地・国立競技場。「グラウンドに入った瞬間に黄色の応援席が見えて、『ああ、応援されているんだな』という実感がありましたし、テンションもメチャメチャ上がりました」。最高の応援に、最高の会場。奮い立つ。もうやるしかない。 「『負けたらもうサッカーを引退するんだ』と考えた時に、負けたら終わりというプレッシャーの中で今日もピッチに立ったんですけど、『もう後悔がないようにやり切ろう』という方に切り替わったのかなと。精一杯プレーして、自分の力を出し切って負けたら、それはそれでしょうがないかなって。それで結果が付いてきたら一番いいですし、そういう意味でも、この国立のピッチに立てて良かったなと思いました」。 前半にも、後半にも、大橋は一度ずつ訪れた決定的なピンチをファインセーブで凌ぐと、1-1で迎えた終盤に途中出場のFW宮本周征(2年)が決勝ゴール。帝京は開幕戦勝利を総力戦で手に入れる。 「ちょっと怖かったですけど、今日はアドレナリンで動いてくれたのか、ヒザの調子も良かったですね。自分のヒザながら頑張ってくれたかなと思います(笑)」。この仲間と一緒に戦えるのも最大であと2週間あまり。大橋は“共闘”してくれている右ヒザを労りつつ、再びこのピッチへ帰ってくることを誓って、国立を後にした。 「まだ実感がないというか、『本当に終わったんだ』ということは、家に帰った時に気付くのかなと思いますね」。 終わったばかりの高校ラストゲームを振り返る大橋の口調も、どことなく現実を受け入れられていないように感じられる。高校選手権3回戦。帝京は1点をリードされていた後半の終盤に追い付いたものの、PK戦の末に明秀日立高(茨城)に競り負け、大会を去ることになった。 PK戦の2人目。先攻だった帝京のキックは、相手GKのセーブに遭う。後攻の明秀日立のキッカーが蹴ったキック。右に飛んだ大橋はコースの読みこそ外れながら、必死に残した左手でボールに触ったが、弾き切れなかった球体は、ゆっくりとゴールへ転がり込む。 「自分が先に動いてしまって、重心がもう傾いてしまっていたので、シュートが弱かった分だけ触れたけど、弾けなかったですね。触って入れられるのは悔しいですし、止めなきゃいけなかったのかなとは思います」。赤いユニフォームの守護神は、思わず天を仰ぐ。以降も明秀日立のキックは、すべてゴールネットを揺らす。準々決勝進出は、国立競技場への帰還は、あと一歩で届かなかった。 「PK戦はキーパーの見せ場だと思うんですけど、今まで自分がやってきたことの積み重ねで、ああいう結果になったのかなって。チームのために活躍できなかったことは悔しいですし、後悔がないようにやろうと思ったんですけど、やっぱり負けると後悔が出てきますね」。 「最後の大会だということで、自分も全身全霊で、本気でぶつかりましたし、自分がヒーローになるというよりは、チームを勝たせることが目標だったので、PK戦で負けるのは心残りというか、相手のキーパーの方が上手だったと思うんですけど、PK戦まで持っていってくれたチームメイトにも感謝しています」。 懸念していた“相棒”は、最後まで一緒に戦い抜いてくれた。「試合中は時々痛んだりして、キックも怖かったりしたんですけど、『ここまでよく頑張ってくれたな』と、『最後までよく持ってくれたな』と思います」。これからは今までと違う形で付き合っていくことになる、右ヒザへの感謝は尽きない。 負けてしまえば後悔はもちろんあるけれど、最高のみんなと過ごしてきた3年間に悔いはない。弾き出せなかったPKも、勝ち切れなかった最後の試合も、きっと未来の自分を励ましてくれる、大事な思い出の1つになる。ここで競技者としてのサッカーは一区切り。これからは支えられる側から、支える側へ移って、1人でも多くの悩める人たちに寄り添っていく。 4月からは新たな夢に向かって、自分の信じた道を歩き出す。ただ、柔道整復師やアスレティックトレーナーを目指す帝京科学大学の学生たちは、プリンスリーグの帝京のゲームのサポートに当たっているだけに、どうやら大橋とはまた“いつものグラウンド”で再会する機会もありそうだ。 「帝京のグラウンドの隣が大学の校舎なので、そこで勉強することになります。柔道整復師とATの両方の資格を取りたいですし、ATの資格を取ると、帝京のサッカー部の職に就く可能性もあるということなので、そこは必ず取りたいなと思っています」 「3年生になってからは、時間が経っていくにつれてチームが一丸となる感じがありましたし、『この学校に来て良かったな』と、今日改めて感じました。今までいろいろな形で支えてもらったので、ここまで来れたことへの恩返しという意味で、大学生になっても帝京に関われることは嬉しいですし、こういう素晴らしい大会、素晴らしいピッチで得られた経験を、後輩に伝えたいと思っています。だから、自分もまた帝京の試合にいるかもしれないですね(笑)」。そう言って浮かべた笑顔は、とても晴れやかだった。 復権を期すカナリア軍団のゴールを守り続けた、愛と勇気と涙の守護神。大橋藍はこの3年間で手にしてきた数々の得難い思い出を糧に、これからも伝統の黄色いユニフォームに憧れ、帝京の門を叩いてきた後輩たちと、キラキラと輝くような未来を創り上げていく。 ■執筆者紹介: 土屋雅史 「群馬県立高崎高3年時にはインターハイで全国ベスト8に入り、大会優秀選手に選出。著書に『蹴球ヒストリア: 「サッカーに魅入られた同志たち」の幸せな来歴』『高校サッカー 新時代を戦う監督たち』
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