飛んで火に“炒る”夏の虫?長野県産カイコ入りポップコーン発売に見る、信州に昆虫食文化が根付いている理由
■ 「儲かる昆虫食」が次々誕生 次に昆虫食の普及にとって「寺子屋」の役割が大きかったのではないでしょうか。幕末の信州には1341か所の寺子屋があり、その普及率は日本一でした。県民の識字率が高いことで、明治14年に創刊された「信濃毎日新聞」がいまのSNS的働きをして、広く県民にイナゴやハチノコの料理法が行き渡ったように思います。「信州の郷土料理」(「信濃毎日新聞社」刊)などの本も広く読まれたようです。信州では昆虫は「ゲテモノ」ではなく「珍味」として定着したのでした。 そろばんができることは商売にも有利です。ハチノコはこんなに美味しいから売ったらどうかという発想から「儲かる昆虫食」が生まれました。「昆虫の商品化こそ他地域で廃れた昆虫食文化を今日に伝える原動力ではなかったか」と伊那市のざざ虫研究家・牧田豊さんは言います。1914年(大正3)には「ハチノコの佃煮」が商品化されていたようです。本格的な商品化の先駆け「かねまん」の創業は1916年(大正5)でした。かねまんは安価な缶詰を販売し普及に大きく貢献しましたが、残念ながら2011年(平成23)に廃業しました。 「昆虫食王国信州にあって伊那がその首都だ」と牧田豊さんは言います。その理由として県南部の伊那市の歴史の浅さにあるとしています。江戸から明治にかけて伊那地域の中心は高遠でしたが、明治30年に上伊那郡伊那町が発足し、以来この新しい街に新しい商売が自由に行える気風が生まれたのでした。ハチノコ、イナゴ、サナギ、ざざ虫(川に棲むカワゲラ、トビケラ、ヘビトンボの幼虫の総称)のつくだ煮を「土産物」として販売し、東京の料亭に通って営業することで、「高級珍味」として定着し、全国に知られるようになっていきました。 こうした伝統を受け継いで2022年、伊那谷(天竜川に沿って南北に伸びる盆地一体)の伝統食「ざざ虫」を広めたいと、地元の上伊那農業高校の生徒たちがざざ虫をふりかけにした「ZAZATEIN(ザザテイン)」を開発し、昆虫食文化の継承に一役買っています。 信州で昆虫食文化が根付いた第二の理由は、美味しい昆虫を商品化し、高級珍味として販売したことだと思います。