鈴木愛理、貪欲な“もっともっと病”は父譲り 30歳の誕生日で見せた涙の理由も明かす
あの日は目の前にご本人もいらっしゃったので、いつも以上に、「大丈夫かな」という心配が大きくて、誕生日が近いことなんて全く頭にありませんでした。だから、突然これまでのパフォーマンスをまとめた映像が流れ始めたときは「あれ? もしかして私、卒業するのかな? これで最後?」と不安が募って(笑)。でも誕生日のお祝いだと分かって、改めてこれまでの歩みを振り返ると、「挑戦してきてよかったな」という気持ちがこみあげてきました。たくさんのチャンスをくれるチームが、私の誕生日のために映像まで作ってくれて、家族並みの膨大な愛をくれて、すごくうれしくて。張り詰めていた糸がプツッと切られたように涙があふれたんだと思います。 ――カバーを披露するというのは、やはりプレッシャーが大きいんですね。 歌をカバーすること、カバーするにあたっての思い、いろいろな難しさを感じます。どれだけ体調が悪くても、そこで出たパフォーマンスがすべてになりますし、発した言葉が私のすべてだと受け取られてしまうこともありますし。そういう環境の中で生きていくことって、自分が思っている以上に気が張り詰めているのかもしれないなって、大人になってから感じるようになってしまいました。いつもは、表では「頑張ってきてよかったな」なんてあまり言わないのですが、あのときはカメラを忘れて言っちゃったんですよね。それぐらい、『アニソンでしょでしょ』は家族のような空気感の現場で、心の支えになっているのでありがたいです。
■チャレンジ続ける“最強の三十路”へ ――SNSでは、誕生日当日に「最強の三十路目指して生きるぞ!」と宣言されていました。鈴木さんがイメージする“最強の三十路”とは。 私の親友の岡崎紗絵と松元絵里花が、グループLINEで「最強の三十路になれよ!」とメッセージをくれて、「最強の三十路って何なんだろう!?」と思いながらも、ずっと心にその言葉を留めています。実際に三十代になると、まだまだ新しくチャレンジできるし、今始めても遅くないことがいっぱいあるなと感じているので、またここをスタートラインだと思って、どんどん上に前に進んでいきたいです。自分の中に、まだ自分も知らない“輝けるもの”がもしあるなら、それを無駄にせず発信できる三十代にしたいと思っています。