大岩ジャパンの挑戦で見えたサッカー五輪世代の収穫と課題 山本昌邦NDに聞く
数々の名場面があった2024年の日本サッカー界で、夏のパリ五輪に出場したU23(23歳以下)日本代表はひときわ熱い戦いを繰り広げた。出場16チームで唯一、最大3人の年齢制限のないオーバーエージ(OA)枠を使わずに臨み、難敵ぞろいの1次リーグを3連勝の首位通過。金メダルを獲得したスペインに準々決勝で屈したものの、久保建英(レアル・ソシエダード)、GK鈴木彩艶(パルマ)らこの世代であっても招集が実現しなかった選手がいた中で、戦いぶりには光るものがあった。大舞台を見据えた周到な準備とスペイン戦で見えたもの、次回ロサンゼルス五輪に向けた課題について、日本サッカー協会の山本昌邦ナショナルチームダイレクター(ND)に聞いた。(時事通信ロンドン特派員 野澤健介) 【写真】パリ五輪イスラエル戦で先制ゴールを決め、喜ぶ細谷真大 ◆有意義だった直前のフランス戦 大岩剛監督(52)率いるU23日本代表はパリ五輪の直前期間、フランス南部のマルモールで合宿を張った。マルセイユから車で約1時間かかる小さな町だ。ここを合宿地にしたのは理由があった。 山本ND「1年前から、フランスと何とかして(強化試合が)できないかとやってきた。(開催国の)彼らはフランス国内のことをよく分かっていて、予選がない分、試合会場や練習場の準備で先手が打てる。早く情報を入手して、彼らがどこで合宿をするのか。ではどこのスタジアムが空くのか。われわれも近くで合宿しよう、となった」 日本が2024年4~5月のU23アジア・カップで五輪出場権をつかむもっと前から情報収集に努め、交渉の末に大会直前のトレーニングマッチが実現した。7月17日、場所はトゥーロン。大岩ジャパンの大半を占めたJリーグ勢は直前の13~14日に所属クラブで試合を終えてからフランス入り。調整期間が満足に取れず、コンディションは選手によってばらばらの状態の中、優勝候補とぶつかった。結果は1-1。本大会で準優勝することになるレベルの高い相手と真剣勝負したことが、1次リーグ初戦、パラグアイ戦での5-0の大勝につながっていく。 山本ND「多分、あそこで緩い試合だったら、パラグアイにあんな試合はできなかった。この大会の決勝戦クラスのものを、プレーを、肌で感じた。やれたことは自信になった。一人一人がもう必死で、ギリギリの状態だった。その感覚で(本大会に)入るから、ああいうことになったと思う」 実際、パラグアイ戦はどちらに転ぶか分からない試合だった。南米らしい独特のリズムにてこずる展開で、三戸舜介(スパルタ)が先制点。その後、前半のうちに相手が退場者を出し、後半日本が三戸、山本理仁(シントトロイデン)と立て続けに加点したことで、相手の集中力が切れた。 ◆強豪とマッチメーク その勢いで1次リーグではマリ(○1-0)、イスラエル(○1-0)と破って無傷の3連勝。1失点も許さない堂々の首位通過だった。マリとは3月に京都で国際親善試合(●1-3)を戦っており、身体能力の高さや個の力を生かしたスタイルは経験済み。欧州予選を勝ち上がってきたイスラエルとの対戦でも、それまでさまざまな実力国と戦ってきた経験が生きた。 山本ND「欧州の強豪と言われるようなところはほぼマッチメークできた。強豪と常にやれた。われわれもトップを目指す以上、世界トップ基準の連中と(試合をする)。マッチメークの成果は結構重要だった」 具体的には21年の大岩ジャパン発足後、欧州勢だけでもスイス、イタリア、スペイン、ポルトガル、ドイツ、ベルギー、イングランド、オランダと、全て海外に遠征して勝負を挑んだ。北中米勢ではメキシコ、米国と対戦し、南米の雄アルゼンチンとは23年11月に静岡で強化試合を行った。五輪で主将を務めた藤田譲瑠チマ(シントトロイデン)はU23アジア杯を制した後、「いろんな地域に行ってサッカーするごとに、いろんなタイプのチームと試合をして難しい経験ばかりだった。でもそういったところに行かせてもらったからこそ、こういう大会で結果を残せた」と振り返っている。 ◆招集は困難ばかり 五輪は国際サッカー連盟(FIFA)が定める国際Aマッチデー期間外に行われるため、選手の招集に拘束力がなく、所属クラブが派遣を拒否することができる。選手が参加するには、大会前にクラブが許可するか、移籍する際にクラブとかわす契約書に「五輪の出場を認めること」をはっきり明記するしかない。山本NDや大岩監督は代表期間の活動中、その点を選手に強調した。それでも久保、GK鈴木彩のほか、長くこの世代の中心だった鈴木唯人(ブレンビー)や松木玖生(ギョズテペ)も招集することができなかった。 山本ND「こっちにボールがない。クラブが『ノー』と言えばノー。本当にハードルは高い」 日本サッカーのレベルが上がっているからこその課題。可能性にあふれた若い選手が早いうちから海外を目指す流れは、今後も加速しそうだ。28年ロサンゼルス五輪で、また同じ問題に直面しかねない。山本NDは「今は話せない」としたが、対策を講じる姿勢を示した。 山本ND「どうしても代理人の方がいて、欧州に売り込む形になると、向こう(クラブ)に主導権がある。そしてこの人たち(代理人)の仕事が何なのかを考えると、難しさはある。その中でどうするのか。戦略は練っていて、ある程度は見えている。僕らのプランとして、ここまでやらないと無理だよね、ということはいくつか考えている」 ◆スペイン戦で見えたもの 大岩監督らは招集に難しさが付きまとうことを最初から見据え、誰が出ても同じように戦えるチームを発足当初からつくった。本番でも、メンバーを固定気味に戦って大会終盤に息切れした東京大会とは違い、どんどん先発を入れ替えながら戦った。 メダルまであと二つ。8月2日の準々決勝で当たったスペインは、これまでの相手よりも一枚も二枚も上手だった。 山本ND「ぐっとギアが上がり、スピード感、精度も違う。うちの前線からのプレスという強みは間違いなくあったが、そこを上回る。簡単に言えばパスの質、トラップの技術、いろんなポジショニング、攻守の切り替えスピード。局面局面でそれぞれ勝敗はあるかもしれないが、全体的に日本より上回っていたところは認めないといけない」 その後フランスとの決勝戦でも2得点を挙げるフェルミン・ロペスに決められた先制点は、強烈なミドルシュートだった。2、3失点目は、どちらもCKから決められた。セットプレーにおける攻撃、守備はともに大岩ジャパンの強みのはずだった。 山本ND「われわれがずっとやってきたやり方の弱みを見つけ出して、そこを突いてくる。これを崩すには、こういうことをしたらいいとか、何でもできるというのがある。ほんのわずかな差だけど、それができるかできないかが、メダルに行けるかどうかということ。ロペスの質の高いゴール。ああいう舞台に来ると、勝つためにそれを絞り出してくる。それを体感したコーチングスタッフがいるということが、日本の財産」 試合後、選手たちは涙を流し、本気で悔しがっていた。0-3というスコアが示すほど、はっきりした力の差があったわけではなかったからだ。戦えた実感は大いにあった。 パリでの戦いを経て、藤田、高井幸大(川崎)、関根大輝(柏)はA代表に招集された。大きな経験をした若手が着実に次のステップに進んでいる。 山本ND「五輪は注目度が違い、『じゃあ自分は誰のためにプレーしているのか?』となる。あれだけの人に見てもらい、国を代表する。一番重みを感じるのが五輪だと思っている。試合が終わったあとにいっぱいメールが来て、自分の存在がどういうものかを知る。日本を代表する、日本人であることの価値が伝わるから、背負うものが大きくなる分、成長していく。そこを通り越した先にサムライ・ブルーがある」 先に大岩氏がロサンゼルス五輪を目指す代表チームの監督に再任された。2期目に入る指揮官の下、若き日本の挑戦は続いていく。