試合は無観客、空襲警報で中断…ウクライナはなぜ戦時下でプロサッカーを続けるのか 伝説のストライカーを輩出した名門クラブからもOB6人が戦場へ
▽チームを支える「金の卵」 昨年の首都防衛戦で激しい戦闘が間近で繰り広げられた育成施設「ディナモ・アカデミー」を訪ねた。この日はシャフタル・ドネツクの育成選手同士の練習試合があった。直前に空襲警報が鳴り、開始時間が遅れた。 17歳までのディナモの育成選手は約350人。「金の卵の学校です。移籍金がチーム経営を支えている」(シャクホフ氏)。戦争前はウクライナ全国から有望な子どもを集め、欧州の強豪チームに数々の選手を送り込んできた。 選手候補生には、戦場で手足を失った父を持つ子、戦死した父を持つ子も珍しくない。それでも練習に励んでいる。責任者イシチェンコ氏(70)は「一生懸命サッカーに打ち込むことで精神が安定することもある」と万全のサポートをしていると話す。「2度目の戦争も乗り越える。不屈であることがわれわれの支柱だ」。施設には「死の試合」の告知ポスターが展示されていた。 本土で戦争が続いているのにオーナーのスキルス氏は「戦争のさなかでも、国家は日常の営みをやめてはならない。ロシアに膝を屈しないと示す必要がある。私は私のやりかたでウクライナ軍を支援する」と強調する。「ウクライナの支援のために、Jリーグのチームとチャリティーマッチがやりたい。戦争に勝利したら、復興のためにウクライナにも招きたい」とにやりと笑った。