『光る君へ』政権の座に就いた道長はなぜか「10年間無官」の為時を<最上格の大国>越前守に…まさかの大抜擢に対して広まった逸話とは
◆説話 この為時の越前守任命については、『続本朝往生伝(ぞくほんちょうおうじょうでん)』の第1話「一条天皇」や『今昔物語集』『古事談』『今鏡』『十訓抄(じっきんしょう)』に有名な説話が見える。 下国の淡路守に任じられた為時が嘆いて作ったという、「苦学の寒夜は紅涙(こうるい。悲嘆の涙)が袖(襟とも)を霑(うるお)し、除目の春の朝(あした)は(天を仰いで)蒼天(そうてん)が眼(まなこ)にある」という詩を見た一条が食事も摂らず夜の御帳で涕泣(ていきゅう)していた。 それを見た道長が、乳母子でもある越前守に任じられた源国盛に辞表を書かせ、為時を越前守に任じたというものである。 越前国は最上格の大国(たいこく)で、生産力が高く、京都からも近い熟国(じゅくこく)として、受領を希望する官人が多かったのである。 この除目の直物(なおしもの。除目の訂正)において二人の任国が交換されたのは史実であるが、実際にはこのような事情で国替えがおこなわれたわけではなく、前年9月に来著(らいちゃく)して交易を求めていた朱仁聡(しゅじんそう)・林庭幹(りんていかん)ら宋国人七十余人(『権記』『日本紀略』)との折衝にあたらせるために、漢詩文に堪能な為時を越前守に任じたものとされる。 一条が詩文を好んだということや、文人を出世させるという一条「聖代」観から作られた説話であろう。
◆大抜擢 国替えを嘆いた国盛がそのまま死んでしまった(『続本朝往生伝』)というのも、まったく根拠のない話である。 為時が本当にこの詩を作ったのならば、「いつも除目の翌朝に、無念さから天を仰ぐ」という意味で、むしろ除目の前に作ったものであろう(もしかしたら淡路守を申請した際の申文の一節だったのかもしれない)。 『源氏物語』の「少女(おとめ)」巻で、光源氏が不遇の学者を抜擢して大学が繁栄し、これが聖代の象徴とされたという記述は、紫式部とその一家にも脈々と流れる希望を、舞台を醍醐(だいご)・村上朝に設定することによって物語世界に現出させたものであろう。 なお、為時が宋客羌世昌(きょうせしょう)に拝謁した後に贈った詩というのが、『本朝麗藻(ほんちょうれいそう)』に収められている。 そこでは、「言語は異にするとはいっても、藻思(そうし。詩や文章をうまく作る才能)は同じである」と言っている。 ともあれ、為時にとっては、思いも寄らない大抜擢なのであった。 ※本稿は、『紫式部と藤原道長』(講談社)の一部を再編集したものです。
倉本一宏
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