菊池恵楓園絵画クラブ金陽会 の矢野悟さん 「相棒」に感謝の気持ち込め花添えた作品«春日和»
【蔵座江美さん連載・金陽会 光の絵画たち~菊池恵楓園から】
絵画クラブ金陽会にはメンバー10人の作品が残っています。8人はすでに他界され、現在恵楓園で過ごしているのは吉山安彦さんと矢野悟さんのお二人です。矢野さんの作品は50号(90・9×116・7センチ)や100号(130・3×162・1センチ)などの大きな作品が多く、この≪春日和≫のような小さめの作品は少ないですが、かえって目を引きます。 《母子》矢野悟 1995年 油彩、キャンバス 130・0×162・0センチ これは、菊池恵楓園の東側にあった独身寮に矢野さんが住んでいた時に描かれた作品です。恵楓園の入所者は独身寮、夫婦寮などとよばれる寮で生活していましたが、高齢化が進む今では介護が必要な方が多くなり、ほとんどが園の西側の医療施設が近い第1センター(このほか第2、3、5がある)で生活しています。矢野さんも今はセンター住まいです。 矢野さんは禁煙を始めた40代半ばから、気分転換に1日4里(約16キロ)歩くと決めて二十数年続け、靴は何十足も履きつぶしたと話してくれました。距離は少しずつ長くなり、園内だけでは物足りなくなって、園外に出てかなり遠くまで歩いていたそう。散歩が終わると、その相棒でもある靴を定期的に洗っていて、洗い終わって干しているところを感謝の気持ちも込めて「いっちょう描いてやろう」と思ったんだとか。 「傍らに花がありますね」と尋ねたら「せっかくだから、花でも添えてやろうと思ったんでしょうかね」と照れ笑いされていました。そう聞いて見ると、ちょっと一息ついている靴の表情?にも思えてきて、「お疲れさま」とひと言かけたくなるようなやわらかい気持ちにさせてくれます。たくさんの色を使った丁寧な背景は、どこまでも矢野さんらしく、春らしい光に満ちています。 数年前から徐々に目が弱くなった矢野さんは、残念ながら今はもう絵を描かれていません。絵筆などの画材はすぐ使えるくらい大事に保管されています。描いた絵について聞くと、どこに何が配置されていて、どういった配色をしたかまでを詳細に語ってくれ、その記憶力にはいつも驚かされます。 寝ても覚めても絵を描いていたと言う矢野さんに、描けなくなった今、絵の話を聞くと辛(つら)い思いをさせてしまうのではないかと躊躇(ちゅうちょ)していた時期があります。2016年、京都で金陽会の展覧会開催が決まった時、とても喜んで「なんでも聞いてください」と言ってくれて、ようやく話を聞けるようになりました。今では手紙を書くと代筆で返事が届き、時には電話で話を聞いています。 「今でも頭の中で絵を描きよりますよ」と語る、矢野さんの作品です。 (ぞうざ・えみ=学芸員) ◆◆◆金陽会◆◆◆ハンセン病の国立療養所だった菊池恵楓園(熊本県合志市)で、1953年に始まった絵画クラブ。独学で美術を学び合い、画派や技法にとらわれない作品が多く生み出された。現在900点超の作品が園内で保管されている。