「一生懸命にならな損やんか」。誰にでも武器はあると教えてくれた杉原輝雄の勝負哲学【“甦る伝説”杉原輝雄の箴言集①】
勝負の辞典に「あきらめる」の文字はない<心の巻2>
――「一生懸命にならな損やんか。あきらめたらあかん、粘らなあかん。そうせんと自分が損するだけやないか」 よくボクは小さな体でよう頑張ったなとか、努力を重ねて立派やとお誉めの言葉をいただきます。有難いことやが、誉められることが今だに面映い。 なぜなら、そんなことはボクは自分のためにやったことなんやから。不利な条件をクリアするためには、人の何倍も努力せなゴルフで食べていけんと思ったからやったまでで、賞賛されることなど何もないんやと今でも思うています。そやから、なぜみんな技術をあげるために、そういう時間もあるのにやな、一生懸命にならんのやろと。そうしてくれんほうがボクは助かるんやがね(笑)。不思議や思いますね。やらないと自分が損するだけやないですか。 僕がプロテスト通ったのは20歳のときでした。でもプロになったはいいが、「売れ残り」です。というのもその頃(昭和32年)は新設コースがようけ出来まして、一緒に合格した同僚、以前からいた先輩プロも次々に所属プロとしてスカウトされていきました。残ったんがボクだけでした。あとから聞くと、やはり“五角形スウィング”が不恰好ということで声がかからんかったといいます。そりゃショックで情けのうて……。しかし、今にみていろ、という気持ちで、そこで今まで以上に曲がらんスウィングの習得に励んだ。それが五角形だろうと何角形だろうとかまわんかった。それが後になって生きたと思っています。あの時あきらめてたら、今の僕はありませんでしたね。 現在(取材当時)、ガンでそれに打ち克つためにハードな加圧式トレーニングをやって、杉原はよう頑張るななどといわれますが、これとて自分のため。頑張れるのにやらない、あきらめるのは自分が損することなんです。 文/古川正則(ゴルフダイジェスト特別編集委員)
みんゴル取材班