「調査官からだまされた」法廷での証言に共通していたこと~28歳の青年はなぜ戦争犯罪人となったのか【連載:あるBC級戦犯の遺書】#26
調査官からだまされた
次に証言台に立ったのは、A二等水兵だ。熊本県出身で30代後半。委員会の訊問に対して次のように答えた。 (A二等水兵の法廷での証言) 榎本中尉、炭床兵曹長が突くのは見ない。K上等兵曹、藤中が突くのは見ないが、聞いた。成迫が突くのは見ない。 検事側が提出した自分の証拠で、突いたのを見た人の名が挙げてあるのは、自分が言ったのではなく、調査官が私に聞かせたもので、彼は「これらの者は現場に行っていたが、突いたか」と言うので、はっきり見た記憶がないので「いない」と答えたのが、私が見たと答えたようになっている。 調査官から暴力は使われなかったが、だまされた。「命令でやっているのだから罪にはならぬ、正直に言えば、許してやる」と言われた。
調べの間は箱に入れられた
次に沖縄出身のH二等水兵が証言台に立った。年齢は40歳前だ。 検事側からの質問に答えた。 (H二等水兵の法廷での証言) 沖縄で調べられた時は、通訳は沖縄語で話したのでよく分かった。小屋から引っ張り出されて今、自分を訊問している人のところへ来たので、通訳にこの人は誰かと聞いたら、通訳は弁護士だと言ったので、自分は訊問中、信じていた。自分は8日間、五尺、六尺、七尺くらいの箱の中に入れられ(注・5尺から7尺は約1・5メートルから2メートル)、沖縄の一番暑い時を、食事の時以外は外に出されず、小便も箱の中でせねばならず、夜は燈もなく、死にそうになっていた。その箱の周囲には機関銃が置かれ、又、調べられる時も拳銃を持つ人がいるので、驚いて何を言ったか憶えていない。 (証拠提出されている調書については)署名する前に内容を読んでもらったが何が何だかわからなかった。ガスリー検事からは暴行は受けぬ。初めは煙草をくれたりしたので良い人だと思ったが、後には水も呑ませず、ひどい人だと思った。今の弁護士には本当のことを述べた。検事側で作った自分の口述書は、東京で弁護士から訳してもらい内容を知ったが、突くのを見たとして名を挙げている人は全然見ていないので、名を書けと言われて訳が分からずに書いたものだ。