「調査官からだまされた」法廷での証言に共通していたこと~28歳の青年はなぜ戦争犯罪人となったのか【連載:あるBC級戦犯の遺書】#26
藤中が突いてから3分位後に突いた
(成迫上等兵曹の法廷での証言) 第三の飛行士を突く時、「すでに死んでいた」と述べたのは、別によく調べたわけではない、しかし、自分としては確信している。検事側の証拠で、飛行士が杭に縛られた後、身長の低い人が飛び上がって正面から殴ったとあるのは記憶にあるが、それは炭床兵曹長ではなく、もっと丈の低い人である。又、突く前に誰にも命令されず、自発的に突いたとあるのは間違っている。 別の検事側の証拠にも同趣旨の記載があるが、それは間違いだ。 署名の直前、2月6日の午前9時頃、山田通訳に請求されて答えを書いたものを持っていったが、「自発的と一般命令をかけ」と要求され、それを書くまでは通らず、3,4回理を拒まれ、遂に山田通訳の言うままに付け加えた。英語で陳述書を自ら書いたものはない。 藤中が突いてから3分位後に突いた。
藤中が突くとすぐに死んだと思った
成迫は検事の補充訊問に対し、「自分が突く時、その飛行士が生きているか、死んでいるかは、考えなかった」と答え、委員会の訊問に対して、さらに「藤中が突くとすぐに死んだと思った」と答弁して退席した。 ここは重要なポイントだ。ロイド兵曹を最初に刺した藤中の一撃でロイド兵曹が絶命したとしたら、成迫から後、ロイド兵曹を刺突した兵士たちは死体を突いたということになり、起訴項目にある死体を毀損という点は免れないとしても、殺害したということにはならないはずだ。しかし結果から言うと、41人に死刑が宣告された。
自分は見ていないと言ったのに
成迫の次に証人台に立ったのはG一等水兵だった。大分市出身で年齢は40歳過ぎだ。委員会の訊問に対して次のように答えた。 (G一等水兵の法廷での証言) 炭床兵曹長が現場にいるのは見たが、殴るのは見なかった。後ろの方で見ていたので、榎本中尉の突く気配は感じたが、実際に榎本中尉が突くのは見なかった。他の兵より遅れて現場に行ったので、その後ではよく見えなかった。榎本中尉は突いたと思う。前島少尉は現場では見ていない。 検事側から訊問を受けた時、調査官から「炭床兵曹長その他が殴ったと皆言っているのに、お前一人が知らぬはずはない」と言われ、炭床兵曹長が現場にきたのは間違いないので、「みんなが見たというなら殴ったのかも知れぬが、自分は見ていないから殴ったとは言えぬ」と答えたが、間違って掲載されている。昨年11月上旬、弁護士が巣鴨に来て読んでくれた時、すぐに「それは違う」と自分は言った。それまではどんなふうに書かれていたか知らなかった。 G一等水兵は、検事からの訊問に対し「それは弁護士から『違っているだろう』と言われたのではない」と答えて退席した。