【独占】今日2冠挑戦!総合格闘家・堀口恭司がUFC挫折を味わった米国金網へ挑戦する理由とは?
試合当日に特別なルーティンはない。自然体のままリングへ上がるのが堀口流。格闘家特有の試合前の恐怖心はないという。 「まったくない。ゼロです(笑)。練習通りにやれば勝てると思っている。若かりし頃は少し緊張したけどメンタルコントロールは必要ない。この状態のままリングに上がれる。冷静な状態で上がれるから強いんだと思う」 ――それは経験からくるものですか。 「アホなんですよ(笑)。経験というわけではない」 米国は一度、挫折を味わった場所である。 幼少期から空手をしていた堀口は導かれるようにプロ格闘家の道へ進み、修斗で2010年にプロデビュー。強すぎて日本に対戦相手のいなくなった堀口は、ついに総合格闘技の本場米国へ戦いの場を移す。総合の頂点に君臨する「UFC」と契約を果たしたのだ。 2013年10月にUFCでデビュー。無傷の4連勝でランキング3位まで昇りつめて2015年4月25日の「UFC 186」で、UFC世界フライ級王者の“DJ”ことデメトリアス・ジョンソン(32、米国)に挑戦したが、試合終了1秒前に、一瞬の隙をつかれて腕ひしぎ十字固めを決められ、自身初の一本負けを喫し王座獲得に失敗した。 再起したが、UFCでの堀口への評価は高くなく、その後、3試合しか組まれなかった。 「君は視聴率という数字をまだ持っていない。PPV(有料放送)が売れないし人気もない」と、シビアなことを言われた。しかも日本のようなプロモーションをしてくれるわけでもなかった。タイトル戦で勝った選手には、PPVのロイヤリティがつくが、それ以外の選手にはつかない。 「英語が喋れないこともあって雑な扱い。ファイトマネーも上がらない。売り出してもくれない。それなら、もう違うところでやろう。日本に帰ってRIZINを盛り上げよう」と、堀口は2016年をもってUFCとの契約を更新せずに帰国。2017年4月からRIZINのリングに上がることを決意する。所英男らを倒して7連勝。2018年9月に“神童”と呼ばれる天才キックボクサー天心と不利な特別キックルールで対戦して0-3で判定負けしたが、「UFCにいた時よりもRIZINに来てからファイトマネーは上がっています」という。 UFCを経験をする前は、格闘家がむやみにメディアに露出して媚びを売る必要はないと考えていた。でも今は肩肘は張らない。 「日本に帰ってきてメディアも味方につけないといけないことは学んだ。結果を残せば上に行けるもんだとばかり考えていた。エンターテインメントじゃなく、競技として見ていた。でも、UFCから言われた言葉もあり、両方が大事だと日本に来て理解した」 “3年前の堀口とは違う”という自負がある。