「ふたりの夏物語」大ヒット直後に解散… 杉山清貴が語る「オメガトライブ」今も褪せない輝き
ちなみに、1985年3月に発売されたこの楽曲は7月ごろまでロングヒットしたが、なんとその年末にオメガトライブは解散している。大ヒットが、解散に繋がったのだろうか。 「実は、『ふたりの夏物語』ってそこまで大ヒットを狙っていなかったんですよ。まあ、売れなきゃ困るんですけれど(笑)、この曲のために、“オメガトライブ=『SUMMER SUSPICION』のバンド”じゃなくなったんです。(作曲をした)林哲司さんもまったく想定外で、当初は軽い存在のつもりだったんですよ。それがあんなに売れちゃったから僕ら自身も方向性を見失っちゃって。このままヒット曲が続けばいいけれど、曲も自分たちで書いていないし、もし売れなくなったら、その後はどうすればいいんだろう、って葛藤もあり、20代半ばのうちに解散して、一人一人がスキルアップして、生きていく道を見つけていこうよ、という結論になったんです」 それ以前から、自分たちでヒット曲を書いていないので、方向性の迷いというのはメンバー全員がなんとなく持っていたと思うのですが、この大ヒットで、具体的な話が進んだ感じですね。ギターの吉田(健二)が、“俺たちロックバンドなんだから、ディストーション(音を意図的に歪ませた演奏技術の一つ)もやれないなら辞める!”と言って先に抜けちゃって(1985年4月脱退)、なんとなくそんな雰囲気になっていたのですが、事務所に説得されて、年末の解散まで残りのメンバーで続けることになりました」 かくして、杉山清貴&オメガトライブは、ヒットを継続したまま解散することになったのだが、わずか3年のあいだに発表したシングル7枚とオリジナル・アルバム5枚は、それだけ短期間だったからこそ、圧倒的な輝きを放っているのかもしれない。
いまは「ほとんどコンサートでもやっていない」 ブームで異なる受容
Spotify第2位は、なんと4thアルバム『ANOTHER SUMMER』収録の「DEAR BREEZE」。累計再生回数が、1千万回を超えているのは、「ふたりの夏物語」と「DEAR BREEZE」の2曲のみなので、いかに、現在のシティポップ・リスナーに愛されているかが分かるだろう。 「へぇ~!! 多分、これは曲調が良いんでしょうね。完全にシティポップのど真ん中で、そう考えると大人気というのも分かります。当時は、こういうテイストのAORが海外で流行っていたので、それをオメガトライブがやるんだ、くらいの気分で演奏していました」 この曲も、バンドメンバーではなく、林哲司による作曲。メンバーは彼の存在をどのように捉えていたのだろうか。 「そもそも、僕らがデビューする条件として林哲司さんを作家として提示されたのですが、林さんが洋楽志向というのもあって、僕らは了解したんです。これがもし別の作曲家の方だったら、デビューしなかったかもしれない。林さんの曲は、松原みきさんの『真夜中のドア~Stay with me』や、竹内まりやさんの『September』など、デビュー前から“これまでの歌謡曲じゃない人が出てきたんだ”と注目していましたから」 また、第2位の『DEAR BREEZE』のほかに、第4位にも2ndアルバム『RIVER’S ISLAND』収録の同名タイトル曲が上位入り。いずれも作詞は、おニャン子クラブで大ブレイクする前の秋元康が手がけている。 「本当だ! この曲も、派手さが受けているんじゃないでしょうか。当時のブラックコンテンポラリーな洋楽を意識したんでしょうね。でも、この2曲はほとんどコンサートでもやっていないと思いますよ(苦笑)。『DEAR BREEZE』は、85年のアルバム『ANOTHER SUMMER』に収録されていて、解散のラスト・ツアーでしか演奏するチャンスもなかったし、こういうミディアム調の楽曲自体、コンサートでも息抜き的な位置でしたからね。それがサブスクではこんなに人気ということは、当時の日本と、今のシティポップ・ブームでは求められ方が違うんでしょうね」 ちなみに、以前、同じく林哲司作品を数多く歌ってきた菊池桃子に、Spotifyで圧倒的な人気となっている 『Mystical Composer』というミディアム調の楽曲について尋ねた際も、それまでほとんど人気を意識してこなかったと語っていた。当の林本人も“アルバムの中で箸休め的な存在だった”と驚くほど。それほどまでにヒットの傾向が変化しているのだ。 なお、当時の秋元康について尋ねてみると、 「詞の内容に関してはプロデューサーの藤田さん(藤田浩一、2009年死去)の一存で、秋元さんも作詞のためにホテルで缶詰めにさせられていました。僕らが秋元さんにこうしてほしいとか言うこともなく、“お疲れ様です!”って陣中見舞いでデザートを持っていってたくらいですよ(笑)」 近年、オメガトライブのレコーディングでは、バンドのメンバーではなく、プロのスタジオ・ミュージシャンが起用されていたことも明かされた。それだけ徹底した楽曲制作をしてきたことが、バンドを短命にしてしまった反面、今なお世界的に愛されていることに繋がっているのだろう。 次回は、デビュー曲『SUMMER SUSPICION』や幻のデビュー曲について語ってもらおう。 (取材・文:人と音楽を繋げたい音楽マーケッター・臼井孝)