「ふたりの夏物語」大ヒット直後に解散… 杉山清貴が語る「オメガトライブ」今も褪せない輝き
この連載では、昭和から平成初期にかけて、たくさんの名曲を生み出したアーティストにインタビューを敢行。令和の今、Spotifyなどの音楽ストリーミングサービス(サブスク)で注目されている人気曲をランキング化し、各曲にまつわるエピソードを深掘りすることで、より幅広いリスナーにアーティストの魅力を伝えていく。 【写真】「ほとんどコンサートでもやっていないと思いますよ」と、本人も思わず苦笑…意外な楽曲が選出された「Spotify再生回数ランキング」 ほか
今回は、今年プロとしてのアーティスト人生41年目を迎える杉山清貴を取材した。1983年から1985年まで杉山清貴&オメガトライブとして都会や海を彷彿とさせるロックバンドとして活動した後、翌1986年にソロ活動を開始。 アーティスト・デビュー40周年の2023年5月には、これを記念したオリジナル・アルバム『FREEDOM』 と、全キャリアを網羅したベスト・アルバム『ALL TIME BEST』を発売した。 そして今年は、その『FREEDOM』収録の全曲を収録した映像ソフト『Sugiyama Kiyotaka Band Tour 2023』を発売しつつ、何度目かの再結成を経たオメガトライブとしての全国ツアーも敢行している。 今回は、世界的なシティポップ・ブームに乗って注目されている“杉山清貴&オメガトライブ”時代の楽曲と、35年以上にわたって様々な作風にトライしてきたソロ名義での楽曲の二つに分けて、その人気を考察してもらった。まずは、オメガトライブ時代について深掘りしていこう。 ちなみに、本人にサブスクを利用しているかを尋ねてみると、 「車で移動する時に、流しっぱなしで聴いていますね。1曲流すと、関連したものがどんどん出てくるじゃないですか。邦楽でも洋楽でも何でも…時には、70年代の歌謡曲も聴きますよ」
予期せぬヒットが、解散へ…?
それでは、ここからはオメガトライブとしての現在のSpotifyでの人気曲を見ていこう。“杉山清貴&オメガトライブ”としてのSpotifyの月間リスナーは35~40万人と、80年代の音楽としてはかなり多い。 彼らのサウンドには、現在のシティポップ・ブームの中心人物である作曲家・林哲司の作品が多いことも大いに関係しているだろう。 第1位は、通算5作目となる1985年のシングル「ふたりの夏物語」となった。当時、JALのCMソングに起用され、オリコンこそ最高5位ながら、各種のランキング番組では軒並み1位となる大ヒットとなった。特にその筆頭格である『ザ・ベストテン』では、粘りに粘って登場9週目に1位となったあと、12週間ベストテンに入り続け、見事その年の年間第2位という大ヒットとなったのだ。 「そうでした、そうでした! じわじわと上がっていたんですよね。そして、やっぱり、この曲が今も1位なんですね。当時は、テレビ番組に出ずっぱりだった記憶しかありませんね。月曜日に『ザ・トップテン』、木曜日に『ザ・ベストテン』と毎週のように出ていて、そこにほぼ月1ペースで『夜のヒットスタジオ』がありました。 その頃になると、レコーディングが忙しかったり、全国ツアーの真っ最中だったりしましたが、ランキング番組では、中継に追いかけられて(笑)、結局休まずに出演していた、という印象が強いですね」 番組出演時には、楽曲の爽快なイメージに合わせて、ヤシの木のビーチをイメージしたセット、黒いサングラスに白いジャケットという杉山のスタイルが印象的だった。サカナクションが2019年に発表した「忘れられないの」では、テレビ番組やプロモーション・ビデオにてこのパロディーを披露しており、若い世代に、“元ネタ”として浸透したほどだ。 「あの時代は大学生も含めて若者たちがみんなスーツを着ていましたからね。色んなメーカーが乱立するデザイナーズ・ブランドのブームで、若者たちが街や海で着ていたのを、僕らが衣装として取り入れていたので違和感はありませんでしたね。スーツに肩パットまで入ってね(笑)。でも、確かに白の上下ってなかなか選ばないからオシャレでしたよね」