堺雅人、父性への理解に困惑、これまでの仕事で「もっとも迷子になった」
計算通りに進むと飽きてしまう
数々の作品で“芝居”をしてきた堺だが、収録が終わり、映画が公開を迎える時期になっても「まったく正解が分からない」と語った洋画の日本語吹替。かなり難解を極め、自身でも相当な苦労を強いられたようだが「だからこそ面白い」という。 堺にとって、自身のイメージ通りにキャラクターをつかんでいくことは、決して楽しいことではないという。「予定通りに事が進んでいくと、飽きてしまうようです。わざと違う要素を入れて、演技をブレさせてしまうこともあります」。 以前「かなりの方向音痴」と語っていた堺だが、到着点が決まっている役柄よりも、進むにつれてどこにたどり着くか分からないようなキャラクターを演じる方が、圧倒的に楽しいと話していた。その意味で、正解の糸口すらつかめない本作は「迷子の極み」でありつつも、堺にとっては刺激的な体験だったようだ。
プーさんは和尚?
クリストファーを通して“仕事観”について考えさせられるような場面が、数多く出てくる。 堺は「家族と仕事のどっちが大事か」という議論について「仕事だとも思わないし、家族だとも思わない」と述べる。続けて「いまの時代は『家族です』と言えば褒められますよね。でもそれも違う気がするというか、そう言い切りたくない自分もいるんです。どちらが大切かは、人によって違うし、誰かに決めつけられるものでもない。その人自身が決めればいい」と持論を展開。 プーさんは劇中、「なにもしないことが最高のなにかに繋がる」という、やや哲学めいたことを発言する。演技論などを語るときも「芝居をしないところから芝居は始まる」などという言葉を耳にすることもあるが、堺は「お寺の和尚さんが言いそうな言葉ですよね。僕はプーさんを和尚さんだと思っています」と笑顔をみせる。 この言葉の解釈について「作品に臨むときも『この映画でなにかを得られるかもしれない』と考えてお芝居をしているうちは、大した芝居なんてできないと思うんです。頭で計算しているうちはダメだということなのかな」と語りつつも「でも、実際のところは、分かったような分からないような気分になりますね。プーさんの言葉は難しいです」と付け加える。 実力派俳優が「すべてが難しく最後まで迷子だった」と胸の内を明かした『プーと大人になった僕』。この言葉を思い浮かべながら、本作を観賞するのも面白いかもしれない。 (取材・文・撮影:磯部正和)